気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

退会者の受け入れ先としての大石寺。







いつもみなさん、ありがとうございます。




さて先日、「気楽非活の一問一答その2」でも少し書きましたが、創価学会の偽善に気付きながら、日寛の御本尊を拝むことをやめられない方が少なからずいらっしゃいます。


私のスタンスとしては「自身が選び取ったものなのであれば、どの本尊を拝むのも自由」だとは思うのですが、とりわけ日寛本尊にたくさん題目を唱えて、創価学会員の生活を長年続けてきた方は、急に「拝む対象」を失うことは精神的に抵抗があるものです。


本尊の問題が唯一の理由とは限らないとは思いますが、少なくとも拝む対象を否定できない人が一定数存在する故に、創価学会退会組が"日蓮正宗"大石寺に多く入っているのはよく理解できる気がします。


私は創価学会組織の高齢化による将来的な衰退(既に始まっていますが)をよく記事に書きます。その反面、大石寺法華講信徒さん内部の視点から見れば創価学会ほど信徒の高齢化と衰退の問題に2018年現在は直面していないはずです。その理由は、創価学会に比べて元々の母集団の数が違うこと、そして創価学会退会者からの入講・勧誡組が徐々に増えてきていることが背景にあるのかと思います。


「地域組織の未来」

公明党の衰退」


つまり現今の大石寺は、創価学会の退会者組の主たる受け入れ先となっていまして、創価学会の現状(本尊教義の改定、組織の高齢化と衰退、活動への疲弊等)から非活や退会に至った人たちを受け入れることが、実質的な彼らの布教活動のメインになっているんですね。
ですから大石寺信徒さんが口を開くと大抵、創価学会批判くらいしか述べません。彼らの中では「自宗の布教」と「創価学会批判」がほぼイコールで結びついていまして、外から見るとその姿勢は一種異様なものなのですが、当の信徒さんたちはそのことに自覚できていない方がほとんどです。


まあ、そんなわけで、現在の大石寺は信徒さんたちの視点から見ればさほど"衰退"しているようには見えないでしょう。彼らの視点からすれば、むしろ高齢化により衰退しているのは創価学会であって、大石寺はその離脱組を受け入れる受け入れ先として一時的に信徒を現在増やしているというのが実態であろうと思います。しかしながら母集団としての創価学会の衰退が進めば、大石寺も後を追って高齢化の波にさらわれるのは避けられない気がします。









良い人ほど自分を責める。






いつもありがとうございます。



さて私が活動家だった頃、だいたい2000年代くらいから、私のいた組織でも鬱病適応障害パニック障害等、心療内科にかかる方が増えてきたように記憶しています。


そのような部員さんのことをこのブログでも書いたことがあります。


「かつての部員さんのこと」


ここで書いた部員さん以外にも、私は仲の良かった部員さんや大学の同期生、また先輩や後輩たちに心疾患の症状が見られるようになりました。私の記憶では概ね2001年以降のことでした。


共通する特徴ですが、どの人もみんな人柄がよく、優しい人が多かったです。
どの人も組織で成果が出ないことや仕事がうまくいかないことを「自分のせい」と捉えるのです。
結果として、自分を責めて、自信を喪失し、身体に不調を来す人が多かったように思います。


私はかつて創価学会の幹部でした。
自分の組織に課されたノルマとか、布教数の目標とか結集や得票の目標とかを達成しようと頑張ったことが思い出されます。
しかしそれを達成できなかった時、上からの「指導」と称したイヤミのようなお話があったことも事実です。
それを上の幹部たちは「信心で受け止めよ」という態度でした。


私もまた「自分の組織に結果が出ないのは、自身の長としての一念が足りないのだ」と考えて、自分を責めていた時期がありました。
しかしながら、それを自分の組織の部員さんのせいに転嫁できるわけもありません。
幸い、私には仲間もいて救われましたが、良い性格の人ほど、創価学会内部組織で自分で自分を責めて追い込まれていくのかと思います。


末端組織だけではなく、信濃町自体もそうですが、創価学会幹部には成果が出ない原因を「現場の活動家の一念」にあると、無言で現場に更なる努力を求めるようなところがあります。


「原田会長の指導。財務と青年の育成について」


そのような姿勢が改められないならば、結局良い人ほど創価学会の活動家として自分を責めて、結果として心身を病まれる方を教団が再生産することになるかと思います。













気楽非活の一問一答・その2





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は以前にありました、「気楽非活の一問一答」シリーズの第2弾です。


「気楽非活の一問一答」



公明党は正しいのですか?」


私はかつての公明党の行動が全て正しかったのかどうかよくわかりません。私は活動家時代に公明党を支援していましたが、公明党の支持者だからといって毎回の選挙で公明党に投票しなければいけないという理由がわかりません。日本における民主主義とは国民に主権があるとするものなのですから、その時の情勢によってはたとえ公明党の支援者であっても、公明党を支援しないことがあるということ自体は別に批判されるべきことでもないと思います。


「池田先生は正しく、今の創価学会の執行部は池田先生を蔑ろにしていると思います。この点について気楽非活さんはどう思いますか?」


今の創価学会を築いたのは池田大作氏であり、その弟子たちです。信徒が何をどう思うのも自由ですが、池田氏がなんら弟子であるはずの執行部に何も言えず、自身の夫人や子息等を通じてさえ執行部の弟子たちになんら影響力をもたらすことができないとすれば、その内弁慶の姿勢は批判されるべきかと私は思います。あるいは私が仮に間違っていて、池田氏の弟子を自称する方たちが「真の弟子の道」というものを求めるのであれば、単に行動を起こして信濃町を勇気を持って弾劾すれば良いだけのことなのではないでしょうか。
私は現今の創価学会を作った者として池田氏本人に多大な責任があるかと思いますが、何をどう思うかは個人の自由であると思います。


「気楽非活さんは慢心ではないか」


私は自身の人間性に対して、他者がどのように評価されるのも自由であると思います。もちろんあまりに口汚く罵られるのもどうかとは思いますが(笑)、私は自分が単に低俗で罪深い人間であることを自覚しているつもりです。
私はブログで史料を提示して、そこに対する自身の見解も提示していますが、史料を客観的に見れば推論は自ずと一致するものです。ただ史料を見て、それをどう感じるかは個々人の自由でしょう。それを読者に強要する気はありません。私が強調したいのは、史料や史実といった客観的に動かせない事実から推論を組み立てたいというだけのことです。


「気楽非活さんのブログを読んで共感しますが、私はどうしても家に掛けてある曼荼羅本尊を捨てられません。どうしたらよいでしょうか。」


私は人が何かを納得する速度には個人差があると思います。いずれにせよ、人間は何かに執着してしまうものです。私は「一切の執着から離れる」なんて大それたことをブログで書いたりもしていますが、実際に全ての文化記号としての意味を捨て去ることは原理的に不可能でしょう。
阿含経には「筏の喩え」が説かれます。川があったので、旅人は岸辺に流木を集めて筏を作り、川を渡りますが、川を渡った後もこの旅人は筏を持ち歩くべきか否かを釈迦が問いかけます。釈迦は教えが説かれた後は、その言葉に執着すべきではないこと、釈迦自身の言葉であってもそれに執着してはならないことを説いています。
今は何かに執着してしまうこともあろうかと思いますが、そこに執着をしている自分に気付けるのなら、それで良いのではないかなぁと考えます。その上で曼荼羅本尊を拝むのか拝まないのかは自身でその時その時に判断されるべきことなのではないでしょうか。















九州婦人部幹部の発言。








いつもみなさん、ありがとうございます。


さて先日、沖縄県知事選挙の総括をいくつか記事にしましたが、その後、九州方面の創価学会幹部の発言、そしてそれらが九州組織の現場に降りてきたことがわかってきましたので、今回はそれらを紹介してみたいと思います。


発言があったのは、筑豊総県の婦人部の会合で、2018年10月8日、新筑豊文化会館にて行われた「百花の会」(F票を100以上持っている婦人部の会だそうです)です。担当幹部で発言者の元九州婦人部長・S氏(2018年現在、Sさんの役職は「総九州婦人主事」とのこと)は大要、以下の発言をされました。


沖縄県知事選挙の敗因は、一にも二にも、自民党が支持層を固められず、無党派層に浸透できなかった結果、負けた。」

公明党は支持層の9割を固めたのに、自民党は5割が限界だった。公明党が頑張った結果、8万票差で踏み止まった。」

公明党が過去最大の結果を出さなかったら、ダブルスコア10万票以上の差で負けていた。」

「11月の県知事選までに、市長選、市議選を連勝し万全を期して勝つ予定が、翁長知事が亡くなったことにより、知事選が早まり、公明党無党派層を取り込む時間がなかった。」

「投票日3日前は自民党陣営が投げやりになってしまい、沖縄総県婦人部長が『沖縄県自民党本部を爆破してやりたい』と不規則発言があった。」

玉城デニー候補を応援した野原善正氏は、安田沖縄総県長に対して暴行事件を起こし、現在傷害容疑で係争中であり、真っ当な創価学会員ではない。」

「野原善正氏は暴行事件の後、小沢一郎氏の陣営からお金をもらって創価学会を裏切った退転者である。池田名誉会長の弟子でも何でもない。」

「沖縄の創価学会が分裂しているような報道は、全てデマであり、聡明な皆さんは騙されてはいけない。」

「ここまで、創価学会員に悔しい思いをさせた玉城デニー氏が4年間の任期を全うできるはずがない。私たちの祈りで必ず現証を出していこう。」


発言の要旨は以上です。


玉城デニー氏を応援したとされる創価学会員の野原善正氏が本当に傷害事件を起こしたのかどうか、私は寡聞にしてよくわかりませんが、九州の創価学会組織内で彼はすでに裏切り者というレッテルを貼られています。


ここからは私個人の考えですが、創価学会が応援したにも関わらず、勝つはずだった候補が敗北したことにより、創価学会自民党に対する評価が微妙に変化してきているのがよくわかる気がします。
つまり「下駄の雪」と評され、政権与党として自民党にくっついていく必要があるはずの公明党が選挙に負けた結果、自民党と一定の距離感を表明せざるを得なくなってきているということです。
民主主義における選挙の結果とはそういうものなのであって、今後公明党自民党寄りの姿勢をやや修正せざるを得なくなるかと思います。それが単なる演出に過ぎず、裏では自民公明が固く手を握っている可能性も高いですが、少なくとも表面上は「自民党とは別の独自の政党」というイメージを主張しなければならなくなってくるでしょう。そしてそのような自民党に対する公明党側の姿勢の微妙な変化は、今回の沖縄県知事選挙の結果、今回の有権者の判断がもたらしたものであるということです。





追記:
大石寺系教団の特徴で、自教団の姿勢になんら反省もできずに他者に責任を転嫁して済ませるところは、創価学会大石寺となんら変わらないものだと改めて感じました。














順逆ともに来たれ。







いつもみなさん、ありがとうございます。


さて先日、昭和以降の大石寺宗門が創価学会から返って影響を受けて、他宗派排斥や厳格な謗法払い等、排他性を強めてきたことをブログでやや書きました。


ところが、歴史的に見れば、かつての大石寺浅間神社に本尊を奉納もしていて、法華経が天下一同に広まると本化垂迹天照大神宮に神が宿るという、京都要法寺に近い教義を採用もしていました。


「神社に奉納された御本尊」


「法華垂迹天照大神宮のこと」


大石寺33世日元の天台伝教と天照八幡の書き方」


また小笠原慈聞氏が唱えた「神本仏迹説」は本来大石寺の教義で『本尊三度相伝』で説かれている教義なのですが、これは戸田城聖時代の創価学会から「狸祭り事件」という圧力があり、宗門としても創価学会に押される形で教義を創価学会よりに変えてきたというのが正しい史実であろうと思います。


「狸祭り事件」


「神本仏迹説の根拠」


大石寺の三門にはかつて「順逆ともに来たれ」と書かれていたことは信徒の間でも、また宗門内でも史実としてよく知られています。


例えば大石寺9世日有の『有師化儀抄』には次のように書かれています。


法華宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供まいらせ花を捧る事あり、之を制すべからず、既に順縁なるが故なり」
(日有『有師化儀抄』富士宗学要集1-75ページ)


つまり「順逆ともに来たれ」というのは、他宗の教えであってもこちらに礼儀を尽くす者は順縁であると捉える教義だろうと思います。
歴史的に見れば、大石寺富士門流の諸本山から様々に教義上の影響を受けてきました。例えば二箇相承は北山本門寺に伝わっていたとされるものですし、日蓮を本仏とする思想は保田妙本寺14世日我の『化儀秘決』で先行して説かれたものです。また敬台院の支援で細草檀林が建てられ、八品派からの影響が大石寺にあったことは疑いないかと思います。


「敬台院と日精のこと」


日蓮本仏説の萌芽」


つまり本来の大石寺は自山に独自のアイデンティティがあったわけではなく、他山の影響を受けながら様々な教義を取り込んで宗派を形成してきたわけで、近年の他宗派排斥・批判に見られるような独善性は、本来戸田城聖由来の創価学会の「謗法払い」のような排他性が返って大石寺に影響を与えて今日に至っている、というのが偽らざる実態であろうかと思います。





「先生」という呼称について。

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いつもみなさん、ありがとうございます。



さて創価学会の「会憲」の第3条第2項によりますと、牧口常三郎氏、戸田城聖氏、池田大作氏の三代会長の敬称は「先生」であるとされ、それ以外の人物は基本的に「先生」とは呼ばれないということになるかと思います。




まあ、それはそれで構わないのですが、かつての創価学会は会長以外の幹部に対しても「先生」という敬称を普通に使っていました。
冒頭の画像は昭和27年1月20日聖教新聞ですが、ここでは和泉覚筆頭理事(当時)がきちんと聖教新聞紙上で「先生」と称されていた事実が確認できるかと思います。


また、私自身もかつての活動家時代、柏原ヤス氏を「柏原先生」と呼んでいました。また辻武久氏も「辻先生」と呼ばれていました。


また私は呼んだ経験はないのですが、公明党の初代委員長になった原島宏治原島嵩氏の実父)氏も「原島宏治先生」と呼ばれていました。
原島宏治氏以外にも、例えば北条浩氏や小泉隆氏等も「先生」の呼称で呼ばれていたのも聞いたことがあります。


また後代になりますと、例えば河合一氏(副総合教学部長、師範)のことを「河合先生」と呼んでいた人のことを私は知っています。


本来、「先生」という呼称は自発的な尊敬の念から生まれるものでしょうし、また牧口門下生たちに「先生」と呼ばれた人が多かったのは、学校の教員だった人が多かったことも原因として考えられるかと思います。


ちなみに秋谷栄之助氏や原田稔氏が「先生」と呼ばれることは私は聞いたことがありませんが、最近聞こえてくる情報によりますと、一部幹部や会員は原田会長のことを「原田会長先生」と呼ぶ人も出てきているそうです。









昭和期の創価学会の影響下の大石寺。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて現在、"日蓮正宗"と呼ばれている大石寺という教団は歴史的には本来総本山ではなく、単なる日蓮宗興門流の一本山扱いでしかありませんでした。


日蓮宗興門派としての大石寺


「興門派の持ち回り管長」


例えば曼荼羅本尊の奉安の仕方も、かつての大石寺の旧信徒さんの仏壇に見られるように、現在の御影堂の形式、すなわち曼荼羅の前に日蓮御影を安置する形も多く見られました。これがいわゆる一幅式(曼荼羅のみの奉安)に統一されて来るのは創価学会の出現以降のことです。


「本尊の奉安様式」


また、大石寺の現在の多くの信徒さんは大石寺に定期的に登山して参詣するのが常識のように思われていますけど、本来月例の登山会というのは創価学会の第2代会長の戸田城聖氏によって定例化されたもので、本来大石寺には定期的に登山をしなければならないという教義は存在していませんでした。


「登山会のこと」


また大石寺は「謗法厳誡」として他宗派を排斥したりしていますが、かつての大石寺は他宗派を排斥したりせず、例えば境内に八幡大菩薩天照大神を祀った「天王堂」や「垂迹堂」を建て、他宗派の仏壇やお守りなどを厳格に否定したりはしていませんでした。謗法厳誡として他宗派を排斥するようになったのは、主に昭和に入り、創価学会が出現して「謗法払い」という厳格な他宗排斥(具体的には他宗の仏壇や御守り等を捨てたりすること)が常習化するようになってからのことです。


大石寺伝統講、旧檀信徒さんについて」


「法華垂迹天照大神宮のこと」



つまりこれらから考えるに、現在の大石寺アイデンティティは、本来元々から大石寺に存在していたものなのではなく、他山からの教義を受け入れ、加えて昭和期の創価学会の影響から作られてきたものだということです。


現在の大石寺の布教活動の対象の多くが元創価学会員や顕正会員で、その退会者を主たる布教対象としていることからも、その布教方法が戸田城聖由来の方法論に根ざしていることは間違いないと思います。とりわけ顕正会の布教方法は戸田城聖氏の影響が強いと考えられます。


大石寺という教団が罪深いのは、そのような昭和期の創価学会に由来するはずの布教方法や教義構成といった史実に蓋をして、それがあたかも大石寺に元々から存在したかのように偽装していることです。
日蓮本仏説でさえ、その源流は天台の口伝法門にあり、細草檀林を経由した八品派の教義や保田妙本寺日蓮本仏説から影響を受けて構成されたものに過ぎません。


「八品派と細草檀林」


「三大秘法口決は八品派から大石寺流入した」


「敬台院と日精のこと」


日蓮本仏説の萌芽」


とするなら、大石寺の現在のアイデンティティ創価学会由来の他宗派否定の文脈に過ぎず、それを教義としてかつての昭和の創価学会と同様の行動をし、それがあたかも本来の大石寺の姿であるかのように偽っているのが、現在の教団の偽らざる実態のように思います。