気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

池田大作氏に関する噂話。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さて今回は、とある創価学会信徒からの情報をもとに書いてみます。
以下の話は信濃町の本部職員から聞いた「噂話」に過ぎません。当然ながら裏もとっていませんし、本当かどうかもわかりません。
ただ本部職員たちで語られていることのようなので、あえて文章化してみることにしました。
 
 
 
池田大作氏は現在、本部の第2別館から離れて、八王子の東京牧口記念会館にいるらしい。」
 
「少し前から行われていた東京牧口記念会館の改修工事は、池田大作氏の居住スペースを作るためだった。」
 
「移動の目的は、池田大作氏の認知症、認知能力の衰えが進んだことで、スタッフ等の人手がかかるようになり、秘密を守る必要から信濃町の本部第2別館が手狭になってきたこと。」
 
「万が一の話で、池田大作氏が亡くなった時に最近の都内の火葬場が混雑している現状が問題になった。仮に亡くなったとしても多摩地域の火葬場なら、何週間も遺体を火葬待ちにするような状況は回避できるのではないか。」
 
 
 
既に述べたように、この話はあくまで会員が本部職員から聞いた「噂」に過ぎません。
その本部職員も本部で噂されている話とのことです。
事実はわかりませんが、この「噂」から推察できることは以下のような点でしょう。
 
 
・多くの創価学会職員が、池田大作氏の認知能力に衰えがあることを把握していて、それを隠そうとしていない。
 
・仮に都市伝説に近い噂話だとしても、「永遠の指導者」とされる池田大作氏の内情を会員信徒に隠さずに話してしまうくらい、本部職員の守秘義務的な感覚は緩くなっている。
 
池田大作氏がかつて本部の第2別館にいたことは、ここからも事実であったことが推察できる。
 

 

御書の一部を切り取って読む教団。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さてTwitterでも書いたことですが、聖教新聞(2022.11.24付)の「寸鉄」には以下のように書かれていました。

 
この意図は「言ごとにせめかえす」という御書の文を引いて、沈黙することをせずに堂々と会員信徒に創価学会の正しさを述べていくことを勧めていると推察されます。
 
ところで、この文が載っている御書とは何でしょう。それは『報恩抄』です。日蓮はこの『報恩抄』でどのような意図をもって、この「言ごとにせめかえす」という言葉を使っているのでしょう。

 
「而れども智顗法師は末座に坐して色を変ぜず言を悞らず威儀しづかにして諸僧の言を一一に牒をとり言ごとに・せめかえす、をしかへして難じて云く抑も法雲法師の御義に第一華厳・第二涅槃・第三法華と立させ給いける証文は何れの経ぞ慥に明かなる証文を出でさせ給えとせめしかば各各頭をうつぶせ色を失いて一言の返事なし」
日蓮『報恩抄』創価学会旧版御書全集、299ページ)
 
ここで日蓮が述べているのは「『法雲が第一華厳等と述べて、法華経を第三の劣と判したのは何の経文に根拠があるのか、その証文を示せ』と天台智顗は述べた」というものです。
天台智顗の言葉を借りて述べているところではありますが、この趣旨は「各々の宗派の主張する法門に経文からの根拠があるのか、それを明確に示すべき」ということです。
 
創価学会日蓮正宗は果たしてきちんと経文から根拠を示しているでしょうか。
日蓮門流と言いながら、なぜか大石寺法主の書写本尊を根本本尊として拝んでいる創価学会。しかも好んで信徒や幹部が用いる御書は真蹟不存の偽書説濃厚な『御義口伝』や『生死一大事血脈抄』等ばかり。
日蓮正宗日蓮正宗で、日蓮や日興の遺文にも載らない戒壇本尊を根本にして、しかも全く客観的な物証を示すことができない。戒壇本尊は大石寺第4世日道の『御伝土代』にさえ書かれていない。身延を日興が離山する前は身延山の本堂にあったと言いながら、六老僧も弟子たちにも記録に残っていない。
 
そんな文献的根拠を一切示すことのできない創価学会が『報恩抄』の「言ごとにせめかえす」を引用するのは自己矛盾も甚だしいと私などは思います。
このことからわかる通り、彼らは日蓮の御書を全編通して読むことをせず、都合の良いところだけを切り取って読むだけの場合が非常に多いのです。切り取られた御書だけを引用すれば、前後の文脈から切り離され、日蓮の意図とはずれてしまうことは自明のことだと思うのですが、彼らの耳には届かないのかもしれません。
 

 

 

玉澤妙法華寺に存在する御肉歯。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて、日蓮正宗には「御肉牙」という宗宝が存在します。これは日蓮の歯を大石寺が保存しているというもので、法主の御代替わりに公開されるものです。何と広宣流布が近づくと肉が増えて光明を放つそうです。そんなオカルトのような気味の悪いものを未だに祭り上げていることに驚きます。
 
 
「御肉牙について」
 
 
 
ところで、こんなオカルト的な日蓮の歯をなぜわざわざ持ち上げて大石寺は権威づけしたかったのでしょうか。過去の日興や日目の文献には存在しないものです。
真意はわかりかねますが、実は玉澤妙法華寺日蓮の「御肉歯」と呼ばれるものが現存しており、この記録を何と六老僧の日昭が記録で残しているのです。
以下は文保元年(1317年)の日昭『譲与本尊聖教事』(『日蓮宗宗学全書』1-11ページ)ですが、見るときちんと「先師御在生之時ノ御歯 二粒」と書き残されています。

 
玉澤妙法華寺日蓮真蹟の「伝法本尊」が日昭授与として残されていることは広く知られています。この本尊は197.6cm×108.8cmもの大きさのある、由緒ある弘安3年の日蓮真蹟本尊です。
また玉澤妙法華寺には『宗祖御遷化次第』に記録された『注法華経』も残されています。
それらの寺宝とともに日昭がきちんと「日蓮の歯二粒」が現存していることを記録で残しているのです。しかもこの記録は文保元年(1317年)のものです。
もしもこの「日蓮の歯」が偽作だとすれば、それを偽作したのは日昭以外にあり得ない筈です。ところがこの時に存命であった筈の日朗(1320年没)も日興(1333年没)もこれを批判していません。またこれ以降の日蓮門流の中に玉澤妙法華寺日蓮の歯を否定するものは存在しません。日興門流にもこの歯の存在を否定する文献や記録はありません。
 
 
以下は邪推になりますが、これは玉澤妙法華寺の「日蓮の御肉歯」が寺宝として知られるに至り、後世の大石寺が自山に「御肉牙」を偽作するに至ったと推察するのが自然かと思います。というのは、もともと大石寺に「歯」が存在していて、もしも仮に玉澤妙法華寺側が大石寺を真似て「歯」を偽作したとするなら、諸方面から妙法華寺を批判・否定する議論、またそれらの文献があって当然です。ところが、それらが全くないのです。つまり玉澤妙法華寺の「歯」は1317年に記録されて以降、その存在を批判されたことがないということです。
そうなると、大石寺側が玉澤妙法華寺の「歯」を真似て偽作し、自山の権威化を図ったと考えた方が史実の推察としては自然なことになるでしょう。
 

 

元広宣部としての思い。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さてこんなブログを書いていると、いろんな方から「お会いしたい」旨の連絡がよく届きます。
先日、お会いした方から言われたのは「貴方は広宣部の『良心』だ」とのことです。
彼曰く広宣部の幹部には酷い人が多かったけれど、気楽非活さんは違うと言って頂いたのです。
 
 
とは言え、私が広宣部時代に他宗派、とりわけ顕正会妙観講に対して対論を繰り広げ、相手を回答不能に沈黙するまで追いやったのは私です。そんなことばかりやっていた過去を私は正直に認めたいと思います。すみませんでした。
 
 
ただ彼が述べたように広宣部には、ゴリ押しで相手を威圧するだけ、教学も何もない、パワハラまがいの広宣部幹部が当時いたことも事実です。私はそれを間近で見てきました。
だいたい創価班や牙城会というところがかつてはそういうところでした。指導会に遅れてきた部員がいれば参加者の面前で叱責罵倒は当たり前。そうやって創価班や牙城会に居られなくなった部員など一人や二人ではありません。少なくとも1990〜2000年代くらいまでの創価学会男子部はそのような荒療治で青年層の人材を減らし続けてきたのです。当時の青年部幹部だった太田昭宏氏、谷川佳樹氏、正木正明氏、佐藤浩氏、杉山保氏、竹内一彦氏等が、そのことを知らなかったなどあり得ないはずです。
 
 
 
読書好きな私がなぜ広宣部・言論企画部に納得して入ったのか、その理由はたった一つで、御書を読めるという点だけでした。
創価学会信徒は本当に御書を読みません。とりわけ2010年代以降の創価学会信徒は御書全集を持ち歩くことさえほとんどなくなりました。座談会で持ち寄るのは薄っぺらい『大白蓮華』だけで、しかも御書全集のわずか数行の文章を1ページ大に拡大したページを皆で読み、講義するだけ。御書の内容も背景も知らない。基本的な古文の読解さえできない。そんな人たちの集まりになり果てました。まあ、日蓮正宗の現在の信者も似たようなものです。
 
 
 
私は広宣部に入って、初めて多くの御書の偽書説を知りました。また相伝書とされる『百六箇抄』等に後世の加筆があることも知りました。顕正会対策のために改めて『立正安国論』『三大秘法抄』『二箇相承』等もきちんと読みました。
ただ当時の顕正会対策、妙観講対策に作られた広宣部の資料(多くは波田地克利氏らによって作成されたものと考えられます)は「相手がこう言ってきたら、こう切り返せ」という対論の技術的な内容に偏重していまして、広宣部メンバーでも対論では大声でわめき散らして相手を威圧するだけの品がない人たちも少なからず散見されたものです。
 
 
私は理詰めで顕正会対策をするために『三大秘法抄』等のページに大量のメモ書きをしました。多くの広宣部メンバーが付箋を貼ったりしてすぐに反論できるように準備をしていました。どこに書いてあるのか、即座にページを示せなければ戦いにならないからです。以下は私が使っていた御書の『三大秘法抄』のページです。

 
広宣部がいつかなくなったのはさまざまな理由があります。多くの先輩たちが創価学会から離れて退会したからです。また聞くところによれば、一部メンバーは分派活動に執心することになります。確かに波田地克利氏も創価学会を除名になります。またかつての広宣部の一部メンバーが自活グループに近づいていたことも最近では知られるようになりました。
 
 
私はこんなブログを書いていますが、分派を作るために書いているのではありません。創価学会の改革を目指してもいません。創価学会は既に歴史的役割を終えた昭和の一つのムーヴメントに過ぎませんでした。いずれ会員の高齢化によって緩やかに衰退します。日蓮正宗も同じです。既に衰退は始まっています。
私がブログを書いているのは、今は亡き母に真実の思いを伝えられなかった、全てを伝えることができなかった、その罪滅ぼしの思いが強いのです。それ以上もそれ以下もありません。
だからこそ、私のように原理主義的に狂ったように活動してきた自分の過去は、良い反面教師として伝えていきたい。自身の恥は晒して、後に続く人たちにはどうか間違いのない人生の選択をしてほしい、それだけの願いからブログを書き続けています。
 
 
そんな風に書くと悲壮な決意で書いているように見えますが、当の本人は至って毎日楽しんで生活しています。楽しむことが大切なことです。毎日の時間を教団に費やすのではなく、自分たちの時間に使えるというのは何と幸せなことかと思います。
 
 
私はどんな分派も作りません。会内組織も作りませんし、宗派も講も結成しません。リーダーにもなりません。そんな素養もないです。退会者や離檀者を集めて独自宗派を結成しようとも思いません。
ただ私は苦しんで亡くなった母のことを思い、そして同じように苦しんで生きてきた創価学会日蓮正宗顕正会の信者たちが目を覚まして、新しい人生を生き直すことを素直に願っているだけなのです。
 
 

 

「吊し上げ」と称される指導会。

 
 

いつもみなさん、ありがとうございます。

 
 
さて日蓮正宗法華講信徒さんの間でもここ数年、かなり住職や本山への不満が溜まっているようです。本山から末寺に対する、いわゆる「吊し上げ」指導会の実態など、かなり赤裸々にSNSで投稿されるようになってきました。
本来、このような指導会の内幕は内部情報な筈なのですが、日蓮正宗では宗内の統制に全く歯止めが効かない状態が続いていまして、離檀・離宗した信徒たち、また御講に出なくなった、「非活」信徒たちが暴露を始めているのです。
 
 
例えば2021年3月22日〜23日、大石寺で午前と午後の2回(2日で4回)、全国から100人以上の末寺住職を本山に呼びつけ、「折伏推進指導会」(いわゆる「吊し上げ指導会」)を開催しました。このことは令和3年5月号の『大日蓮』でも紹介されています。
住職等からの情報によるなら、全体会合の後に個別に呼ばれて、末寺住職は折伏布教ノルマを達成するように誓約書を書かされたとする情報も聞いています。
 
 
ちなみに2021年に大石寺法華講「83万人」を達成したと公式にしています。目標を達成したのが事実なら、なぜ個別の末寺を吊し上げるのでしょうね。
ちなみに布教数が達成されない寺院の多くは都市部よりも地方が多いようです。
 
 
既に広く知られているところですが、2017年3月24日の朝、埼玉県朝霞市日蓮正宗・日成寺住職で権大僧正の安孫子信洋氏が寺の敷地内で首を吊った状態で亡くなっているのが発見されました。享年46歳でした。
孫子信洋氏は亡くなるわずか1年前、2016年11月24日、佐々木正演氏の後任として同寺の2代目住職に就任したばかりでした。
亡くなられた安孫子氏のご冥福をお祈りするばかりですが、死因が自死とするならば、なぜ住職に就任後わずか1年で彼は亡くならなければならなかったのか、その点について大石寺は強く反省すべきであると私は思います。なお大石寺68世法主の早瀬日如は、通夜にも告別式にも出席していません。
 
 
また「吊し上げ指導会」は未だに大石寺で続いていまして、2022年4月14日、大石寺宗務院大会議室にて「全国支院長会」が行われたことが『大日蓮』2022年6月号で報じられています。
上記の内容は全て日蓮正宗信徒、元信徒、また日蓮正宗の一部住職から私への情報提供されたものです。またSNSによる彼らの投稿によって公然とされています。
 
 
布教数があがらず、ノルマ達成のために「吊し上げ」と呼ばれる指導会を行う意図も推測できますが、既に情報が公然と漏れるほど日蓮正宗内部での不満が鬱積しています。このような布教数ノルマを立てさせ、目標を煽るような創価学会的なやり方を早く改めるべきかと思います。既に創価学会でも聖教新聞営業のノルマをあげさせる手法が内部から批判され始めています。もしそのような「吊し上げ」の実態が事実であるのならば、それらは既に時代錯誤のやり方になっていることに早く気づいてほしいものです。
 
 
 
 
 
 

日蓮の魂の文字を削り落とした戒壇本尊。

 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は大石寺戒壇本尊の彫刻の仕方についてです。
 
 
 
大石寺戒壇本尊は楠木でできていまして、細井日達の説法によれば半丸太状のカマボコ形をしています。そして全体には黒漆が塗られ、本尊の文字を彫刻、その掘り下げた文字に金箔を施してあります。
ここで指摘したいのは、金箔を流し込んである戒壇本尊の文字は全て「掘り下げ」で彫刻されているということです。

 
戒壇本尊が日蓮の真作であると仮定するならば、当然ながら板の表面に日蓮が筆で書くことが制作過程で必要になります。
 
普通に考えれば
①楠木の板表面に日蓮が筆で文字を書く
②文字に沿って墨文字を削って掘り下げる
③掘り下げた文字曼荼羅全体に漆塗り
④削られた文字に金箔を流す
ということになる筈です。
 
 
ところで、ここで先日偽書として紹介した『経王殿御返事』が最大の問題になります。このブログで『経王殿御返事』を偽書としましたが、日蓮正宗大石寺創価学会も同抄を偽書とは断定していません。
この御書には何と書いてあるか。ここに「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」と書いてあることは大石寺系信徒には広く知られています。

 
上記の画像は、創価学会旧版(堀日亨版)御書全集の1124ページです。
 
 
さて曼荼羅本尊の表面に書かれた文字が「日蓮がたましひをすみにそめながして」書いたものなのならば、なぜ「日蓮が魂を染め流した文字」を掘り下げて削っているのでしょう。
日蓮が魂を染め流した文字」なら、文字は削って掘り下げるのではなく、文字を生かして周りを削って「掘り上げ」るべきです。
 
 
個人的な感想ですが、戒壇本尊も偽作なら御書も偽作が多い故に、教義の整合性が取れない事態が多数発生してしまうのかと思います。
もしも日蓮が魂を墨に染め流して書かれた本尊の文字なら、それらの文字は「日蓮が魂」であり、決して彫刻で削り落として良いものではない筈です。
 
 

 

「仏滅後正像未弘之大本尊」とは。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
今回は大石寺法主書写の本尊の「讃文」について、書いてみたいと思います。
 
 
「讃文」とは本尊右下に多く書かれるもので、多くは「仏滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曽有大漫荼羅也」と書かれます。またこれは『御本尊七箇相承』でも言及され「仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」(富要1-32)とされています。すなわち大石寺相伝書によるなら「讃文」は略して書くことは「大僻見」「不相伝の至極」になるのです。

 
 
ところが、大石寺法主にはこの「仏滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曽有大曼荼羅」をこの通りに書かない人が存在します。すなわち法主自身が「大僻見」「不相伝」であることを認めてしまっているようなものです。
 
以下に挙げるのは大石寺51世日英書写本尊、そして66世細井日達書写の御守本尊です。画像をあげますが、どちらも「仏滅後正像未弘之大本尊也」と書かれています。

 
 
ちなみに日蓮や日興の書写本尊で、この「仏滅後正像未弘之大本尊也」と書かれたものは、一つも存在しません。一体も存在しないのです。
この時点で、大石寺日蓮や日興の通りにも本尊書写をしない、また相伝書等、寺内の史的文書も大事にしない宗派であることがわかります。
加えてこの両者の本尊には「大本尊」と書かれていますが、日蓮書写本尊の中で「大本尊」と書かれたものは、保田妙本寺蔵の万年救護本尊しか存在しません。
なぜ大石寺法主が、わざわざ他山の「大本尊」と書かれた例を参考にするかのように讃文に書いたのか、非常に不可解な印象を抱きます。
ちなみに大石寺戒壇本尊もまた讃文は『七箇相承』と異なっていまして、戒壇本尊には「仏滅後二千二百二十余年之間一閻浮提之内未曽有大漫荼羅也」と書かれています。「仏滅度後」が「仏滅後」と違っており、また「二千二百三十余年」が「二千二百二十余年」となっています。