気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

言論問題で、池田大作氏から関係者への「おわび」はされていない。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて昭和40年代に起こった「言論出版妨害事件」(言論問題)について、今の創価学会信者さんはどれだけの方がご存知なのでしょう。
この事件は、池田大作会長就任後の創価学会が社会的に大きく批判に晒された最初の事件でもありました。
以下に言論問題について簡単に概要を書いてみます。もちろん私の知る範囲のことでしかありません。ネットで確認しながら私の知る範囲のことを書いてみます。
 
 
昭和44年(1969年)、政治評論家の藤原弘達氏による著作『創価学会を斬る』が出版予告されると、藤原氏本人や出版元に対して抗議の手紙や電話が殺到。当時の創価学会幹部で都議会議員だった藤原行正氏や、聖教新聞主幹の秋谷栄之助氏から出版の中止を要請されます。これを藤原氏が拒否したため、公明党竹入義勝氏から当時の自民党幹事長の田中角栄氏に対して事態の収拾が依頼されるまでになります。
田中角栄氏もまた藤原弘達氏に出版の中止や書き直しを要求し、「初版分を買い取る」とまで条件が提示されますが、藤原氏の翻意は得られませんでした。
 
かくして藤原弘達氏の『創価学会を斬る』が出版されると、今度は創価学会信者たちが全国の書店を回り、同書を返本したり、取り扱いをしないように働きかけを行うのです。書店そのものに創価学会信者から嫌がらせや脅迫まがいの連絡が入り、出版やその流通までも妨害しようとしたのです。
 
この問題を日本共産党が取り上げ、『赤旗』で藤原が田中角栄氏から出版差し止めの要請を受けていたことが報道されると、これをきっかけとして他のマスコミが一斉に創価学会公明党を批判するようになるのです。
問題は創価学会公明党関係者だけでなく、自民党の幹事長の田中角栄氏まで介入していたことで、このことから創価学会公明党との関係が憲法の定めた政教分離の原則に抵触する問題として取り上げられるようになります。やがて「言論の自由」を守るべきとする論調が当時の言論界に起こり、創価学会の社会的な批判・糾弾に発展していきます。
 
問題は創価学会公明党との「政教一致」批判にまで至り、ここに来て昭和45年(1970年)5月3日の本部総会において、池田大作氏は謝罪を表明するに至ります。
 
 
以上が創価学会の「言論出版妨害事件」のおおよその概要です。創価学会としてこの問題を一度総括し、池田大作会長が「おわび」を申し上げたのは昭和45年5月3日に日大講堂で行われた本部総会でのことです。
ところでこの時、池田大作氏は「もしできうれば、いつの日か関係者の方におわびしたい気持ちでもあります」と発言をしているのです。
以下は『池田会長講演集』第3巻(聖教新聞社、昭和46年)からの引用です(当該の発言は12ページ)。

ところで、池田大作氏は2023年11月15日に亡くなりましたが、池田大作氏が藤原弘達氏やその関係の人に「謝罪」や「お詫び」をしたことが一度でもあるのでしょうか。
私は一度もそんな事実はなかったように思います。また創価学会の最高幹部らが藤原弘達氏に公式に謝罪を表明したこともありません。
意見の相違はあるのかもしれませんが、創価学会日蓮正宗のような大石寺系教団、またその指導者や信徒が批判される理由は、こういうところに原因があるのではないのかと思います。だからこそ「おわび」をした筈なのに、その謝罪は表面的なものでしかないとされ、批判を浴び続ける結果になっているではないのでしょうか。
藤原弘達氏は1999年に亡くなられていますが、今からでも遅くないので、遺族や関係者の方等に正式におわびの表明を創価学会はすべきであると思います。本来は池田大作本人が生前にすべきことでしたが……。
 
 
 
 

 

『真間釈迦仏御供養逐状』の年次の問題。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さて今回は日蓮の『真間釈迦仏御供養逐状』という遺文についてです。
 
 
この遺文ですが、年次の記載はなく、古来より文永7年と推定されています。ここでは日蓮が釈迦仏の造立を認めており、富木常忍が真間の法華堂に釈迦仏の像を造立したことに関連して、仏像に法華経を読んで「生身の教主釈尊になしまいらせて」と仏像の開眼の指示をしています。真蹟はかつて中山法華経寺に存在していたようですが、現在は中山曽存とされています。以下の画像は創価学会旧版御書全集の950ページの『真間釈迦仏供養逐状』のものです。

 
大石寺26世日寛は『観心本尊抄文段』で、ここで日蓮が釈迦仏造立を認めた理由を3点に渡って挙げています。
 
①一機一縁の故、弘安2年以前のため
阿弥陀仏造立に対するため
③内証の観見に約すれば、己心の自受用身・一念三千の仏であるため
 
日寛説はわかるようでわからないような……不明瞭な説明かと思いますが、とにかく日寛や大石寺の教説としては弘安2年以前、佐渡以前故に日蓮が釈迦仏造立を許したとしたいところなのでしょう。
 
『真間釈迦仏御供養逐状』には年次の記載がありません。単に末尾に「九月二十六日」と記されるのみで、古来より「文永7年」と推定され、特に異論も示されないまま、定説のようにされています。
ところが、浅井要麟編『昭和新修日蓮聖人遺文全集』(平楽寺版)の解説を読むと、事情が違ってきます。
 
そのまま抜き出して書いてみましょう。なお漢字の旧字体、送り仮名等は適宜改めました。
 
「然るに齋藤要輪君が最近身延文庫中より、この書の年次を考ふるに有力な資料を得て寄せられた。それは身延二十七世通心院日境上人の雑記と思はるる「真間山血脈等」と題する写本に、「真間山弘法寺伝燈記」と標示する一項があつて、その中に次の如く記されてゐることである。
 夫レ当山ノ草創ハ常忍了性問答(具如旧記)自リ起ル常公其ノ縁由ヲ於大聖人ニ白マウス、聖人返章ヲ遣シタマフ之ヲ名テ稟権出界抄ト曰フ古来ノ相伝ナリ。自他共ニ許ス是レ臆説ニ不ズ。叉大聖人生身仏ヲ以テ身延の澤従リ真間ノ堂ニ送リ奉リタマフ、其ノ送状ヲ真間堂仏供艱抄ト号ス。尋ツイデ即四菩薩ヲ造立シテ以テ脇侍ト為ス。之ニ就テ又四菩薩造立抄ヲ遺ス云々。又当山者下総州ニ於テ最初根本ノ法華道場ナリ。何ヲ以テノ故ニ、祐公往キシタリト雖手籍仍ナオ存セリ、豈胸臆ニ任ス者乎。問其手紙云何。答フ旧記ニ云ク、建治三年丁未ノ歳也。
これに由て見れば「釈迦仏供養逐状」は「稟権出界抄」より後に富木氏へ遣はされた御消息であることは疑ふべき余地がない。事件の推移から考へても、それが自然のやうである。
而してそれ等御消息の年次を、旧記に依て「建治三年丁未歳也」と記載されてゐて、古来の「稟権出界抄」の年次と一致し、また「大聖人生身仏ヲ以テ身延の澤従リ真間ノ堂ニ送リ奉リタマフ、其ノ送状ヲ真間堂仏供艱抄ト号ス」の文は、年譜攷異に「語脈延山に在るに似たり」といふ意見を裏書きするものである。
かくてこの書の建治三年説は有力となり、古来の一疑問を解決し得たわけである。」
(浅井要麟編『昭和新修日蓮聖人遺文全集』別冊より187〜188ページ、平楽寺版)

 
これを読む限り、この『真間釈迦仏御供養逐状』の成立年代は文永7年ではなく「建治3年」と言うことになり、佐渡以降に日蓮が釈迦仏の造立とその仏像への開眼を認めていたことになります。
安易に定説を信じるのではなく、きちんと検証して事実を確認すること、それらが教学の基礎になるのかと私は思いますが、創価学会大石寺系教団の多くの信者には、そのような視点が欠落しているように感じられてなりません。
 
 
 
 

 

日興の晩年の書状を否定していた弟子たち。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さて日蓮門流は日蓮滅後、各門流に分かれ、やがて正統派争いをして分裂していうことになります。
このことは多くの記録が示していることですが、こと日興門流や富士門流八本山系でさえも日興在世中から既に正統派争いをしていたと考えられる節があります。
 
 
 
今回具体的に示すのは『日興譲状』(日代八通譲状)の一つです。以下の画像はそのうちの一つで、『日興上人全集』(興風談所)332〜333ページのものです。

 
 
ここで「若号七十以後状共、此条条棄置之弟子等可為大謗法之仁也」とされています。これは「日興が70歳以上の老齢になられてからの譲状等について、これを捨て置こうとする弟子たちは大謗法の者たちである」という意味として読むことができます。
 
 
これは日興門流の中で「日興が70歳以降に書いたとされる譲状等」に関して、既に教団内でその正統性について疑惑が出て、それらを否定する者たちが当時存在しており、それらを日代を正統とする門流の者たちが批判していたことを示しています。
事実、この『日興譲状』の元徳2年の時に、日興は87歳です。私はこの『日代八通譲状』も後世の偽作と考えていますが、このように日興が在世当時から否定され、その原因として偽書が当時から作られていたことが考えられることになります。
 
つまり日興門流、富士門流中にも既に正統派争いが生じており、決して一枚岩ではなかったということが言えるのかと個人的には思います。
 
 
 
 

 

池田大作氏の思想には内実が存在しない。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
 
さて私は池田大作氏をこのブログで批判し、その実態や事実を客観的に述べるようにしています。ところが創価学会の活動家さんでも、とりわけ池田大作氏を絶対視する「池田大作原理主義者」とも言えるような人たちから批判を受けることがあります。
彼らの多くは「世界が池田大作氏を評価している」「世界の知性と対話を続けた池田大作氏は世界的に評価されている」故に、池田大作氏の思想は正しいのだと言いたいのだそうです。
 
 
Twitter(現X)でも述べたところなのですが、それを言うなら例えば立正佼成会庭野日敬氏は1978年、国連軍縮特別総会でスピーチをしています。
 
 
 
また立正佼成会のみならず、多くの宗教法人の指導者は世界で平和活動をしているのではないでしょうか。
また「池田大作氏が世界から多くの名誉学術称号を受賞しているから評価に値する」のだというなら、例えば神道系宗教団体「ワールドメイト」の開祖・深見東州氏はジュリアード音楽院から名誉人文学博士号を受けていますし、清華大学の博士課程を修了しています。他にも多くの学術称号を取得しています。決して池田大作氏だけではないのです。
多くの宗教団体が世界的な平和活動や宗教間対話等に取り組んでいるのは少し調べればわかる事実です。
 
 
また池田大作氏は「国連平和賞」を受賞していますが、同賞は日本人なら他にも岸信介笹川良一桑原武夫立正佼成会青年部、高田賢三らも受賞しています。つまり国際連合は「池田大作」も「立正佼成会青年部」らと同等に平和貢献の功績を評価していることになります。
 
 
だから私がこのブログで指摘しているのは、池田大作氏の思想の「内実」なのです。それをいろいろ調べてみても、池田大作氏の思想にオリジナルなものがないと言うというのが私の結論です。
 
池田氏の生命至上主義」
 
「無謬性への過信」
 
池田大作氏の思想の検討を」
 
 
池田大作氏の生命至上主義は、他の生命倫理の思想と何が違うのかわかりません。近いところを探すとおそらくはウパニシャッド思想になるでしょう。「生命と宇宙の合一」とはウパニシャッドにおける「アートマンブラフマンの合一」という思想であり、密教に見られる思想でしかありません。
池田大作氏の思想は偽書の可能性の高い『御義口伝』等の講述類を日寛教学を駆使して現代的に敷衍して説いています。それが現代的に敷衍され、解釈された解説であると肯定的に評価することもできますが、その思想の内実は大石寺26世堅樹院日寛がルーツということになり、池田大作氏に思想上のオリジナリティは存在しないことになります。
「人間革命」という語は東京大学総長の南原繁氏が取り上げたことで有名になった語であり、戸田城聖がオリジナルではありません。また「人間革命」の語は当時流行して巷間に広く流布していた語であり、それが南原繁に取り上げられた可能性について、創価大学の伊藤貴雄氏が指摘していました。
 
つまり池田大作本人の思想のオリジナリティというものは結局その内実が存在せず、単に日寛教学の現代的敷衍と換言、ウパニシャッド的な生命至上主義、「親孝行」にみられる儒教的道徳観くらいしか存在していないのです。
また創価学会信者さんに聞いても「何が池田大作氏の思想の独自性なのか」聞いても何も具体的に答えられない。ただ「世界が評価する池田大作先生」と言われても、その内実がないなら評価に値しないと私は思います。
 
池田大作氏の弟子と言われる信者たちの真の仕事とは、池田大作氏の思想の再検討を通じて、その内実をきちんと社会的に説明することなのではないでしょうか。
私は活動家時代にそれをやろうとしました。しかし結局わかったことは池田大作氏には思想上の独自性が存在しないと言うことでした。
 
 
 

 

『身延山御書』について。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さてこのブログでは何度となく指摘していることですが、創価学会版の日蓮御書全集には偽書の疑いの強い遺文が少なからず収録されています。また逆になぜか理由なく収録されない遺文も併存しています。
その編集姿勢は真蹟主義という訳でもなく、『生死一大事血脈抄』『新池御書』のような真蹟不存のものも収録されています。それなのになぜか『当体蓮華抄』『授職勧請口伝抄』のような遺文は未収録です。教団自体は「信仰に資する」観点から収録したりしなかったりを判断しているようですが、要するに教団運営上、都合が悪いので不採用としているように思えてなりません。
 
創価学会版御書全集に収録されない遺文について」
 
今回取り上げてみたいのは『身延山御書』です。『身延山御書』は確かに真蹟不存ですが、録内に収められ、比較的初期から知られる日蓮遺文です。美しい名文としても知られ、文体がやや日蓮の遺文としては異例です。

 
この『身延山御書』、実は池田大作氏が『若き日の日記』の中で引用したことがあります。具体的には昭和25年6月15日の日記で「たのしくして若干の財を布施すとも、信心よはくば仏に成らん事叶い難し。縦ひ貧なりとも信心強くして志深からんは仏に成らん事疑い有る可からず。(身延山御書)」と書かれているのです(『若き日の日記』(上)、『池田大作全集』第36巻所収)。
それにもかかわらず、この『身延山御書』は創価学会版御書全集には未収録です。旧全集にも新版御書にも同抄は収録されていません。真蹟不存で偽書の疑いがあるなら載せないというなら、他の『御義口伝』や『生死一大事血脈抄』等を載せていることはダブルスタンダードになってしまいます。だからこそ教団としては「信行に資する」という観点で採用するかしないかを判断したいのでしょう。では『身延山御書』を収録しない理由は具体的に何なのでしょう。
本当のところはわかりませんが、同抄を私が読んで「創価学会にとっては都合が悪い」と考えられるところを指摘してみたいと思います。
 
1、身延山を神聖視している。
 
冒頭には「誠に身延山の栖は、千早ふる神も恵みを垂れ、天下りましますらん」と書かれており、身延山自体の美しさを強調するような筆致で書かれています。確かに身延山日蓮宗を敵視してきた創価学会としては、この御書はあまり載せたくないのかもしれません。
 
2、弟子が師匠の過ちを指摘すること
 
身延山御書』には次のような一文があります。
 
「実に仏になる道は師に仕ふるに過ぎず。妙楽大師の『弘決』の四に云く、『若し弟子ありて師の過(あやまち)を見(あらは)さば、若しは不実にもあれ、其の心自から法の勝利を壊失す』云云。文の心は、若し弟子あつて師の過を見さば、若しは実にもあれ不実にもあれ、已に其の心あるは身自ら法の勝利を壊(やぶ)り失ふ者なり」
(『身延山御書』、『昭和新修日蓮聖人遺文全集』より2-1285ページ)

 
師匠と弟子の関係について書かれた部分ですが、ここでは「師匠の誤りを弟子が指摘しなければ、法の勝利を壊失する」ことが説かれています。師匠が過ちを犯すことがあることが前提とされていますから、これは確かに殊更に師弟を強調したい創価学会としては「都合が悪い」のかもしれません。
 
 
 
以上、簡単に読んだだけなので確かなことは言えません。が、少なくとも池田大作は『若き日の日記』で『身延山御書』を引用したことがあるのですから、池田大作氏を絶対視する教団として同抄を教団発行の御書全集に収録しないという姿勢はいささか矛盾しているように私には感じられます。
 
 
 
 

 

日蓮遺文の真偽を検証しないならば。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて私はこのブログで、日蓮遺文中でも特に偽書の可能性が高いものをいくつか紹介しています。
 
「『御義口伝』における『科註』の『補註』への改竄」
 
「『新池御書』は偽書てある」
 
「『一生成仏抄』は偽書である」
 
「建治2年6月27日説の『四条金吾殿御返事』は後世の偽作の可能性が高い」
 
「『経王殿御返事』は偽書である」
 
「金剛宝器戒と『教行証御書』について」
 
「『生死一大事血脈抄』は後世の偽作である」
 
「『諸法実相抄』は後世の偽作」
 
「『寂日坊御書』は偽書である」
 
「最蓮房宛の日蓮遺文について」
 
日蓮遺文については、日蓮の死後に遺文の略奪、偽作等が行われたことは諸文献からも明らかで、遺文を読むにあたり、その真偽を確かめなければならないのです。もちろん真蹟が不存なことが直ちに「偽作」を決定する証拠にはなり得ませんが、古写本も言及も存在せず、初出が鎌倉時代でないなら、その信用性は非常に低いことになるでしょう。
 
ところで、そのような話をSNSですると、創価学会日蓮正宗系の一部の信者から「それなら偽作者は誰なのか?」「偽書だと言うなら偽作者名を挙げるべきだ」と反発する人たちがいます。彼らはどうしても自分たちの信じてきた日蓮遺文、とりわけ『御義口伝』や『生死一大事血脈抄』等を真蹟扱いにしておきたいのでしょう。
「偽作者が誰かわからないから、偽作とは言えない」というのは、子どものような言い訳ですが(笑)、それなら創価大石寺系の遺文集に未収録な次の二つの遺文は「偽作者がわからないから真蹟」と言えるのでしょうか?
 
 
1、『波木井殿御書』
 
「其の後身延山へ分け入つて山中に居し、法華経を昼夜読誦し奉り候へば、三世の諸仏十方の諸仏菩薩も、此の砌におはすらむ。釈迦仏は霊山に居して八箇年法華経を説き給ふ。日蓮身延山に居して九箇年の読誦なり。伝教大師比叡山に居して三十餘年の法華経の行者なり。然りと雖も、彼の山は濁れる山なり。我が此の山は天竺の霊山にも勝れ、日域の比叡山にも勝れたり。然れば吹く風も、ゆるぐ木草も、流るる水の音までも、此の山には妙法の五字を唱へずと云ふ事なし。日蓮が弟子檀那等は、此の山を本として参るべし。此則ち霊山の契りなり。此の山に入りて九箇年なり。仏滅後二千二百三十餘年なり。」
(『波木井殿御書』昭和新修日蓮聖人遺文全集2008ページ)

 
『波木井殿御書』は真蹟不存・古写本不存で、創価学会版御書全集には未収録のものです。
読めばわかる通り、ここでは身延山日蓮が9年間法華経を説いた故に「天竺の霊山にも勝れ」「此の山を本として参るべし」としています。この遺文が偽作でないとするなら「身延山を本山」としない門流は全て日蓮の意志に背くことになってしまいます。
 
 
2、『日朗御譲状』
 
「本迹殊なりと雖も不思議一なり。これ此の経一部の正意なり、亦これ如来第一の実説なり。釈尊一代の深理も亦日蓮一期の功徳も残る所なく、悉く日朗に付嘱する所なり」
(『日朗御譲状』同2002ページ)

 
『日朗御譲状』も真蹟は不存です。この御書を「偽作者が誰かわからない故に偽作とは言えない」とするなら、日蓮の真の後継者は日朗一人になってしまいます。
 
今回は上記の二つのみを挙げましたが、日蓮遺文に後世の偽作が含まれることは明らかなことなのであり、その真偽をきちんと検証して読むことをしなければ、返って日蓮の真意を歪曲することになりかねないのです。
偽作の疑いの強いものばかりを有り難がり、真蹟からその思想の対照もせずに、日蓮の思想でも何でもないものを日蓮の思想だと偽る行為は、結果として日蓮に背くことになるでしょう。
 
 
 
 
 

 

「四箇の格言」は一貫されていない。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は日蓮の「四箇の格言」について考えてみたいと思います。
 
 
日蓮の「四箇の格言」とは「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」という四つの他宗批判を日蓮遺文中から選び出し、後世の何ものかによって「四箇の格言」と名付けられたものです。事実として「四箇の格言」と日蓮が遺文中で述べたことは一度もありません。
 
 
まず「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」の四つの他宗批判が全て併記される日蓮遺文を見てみましょう。
 
 
「念仏は無間地獄の業・禅宗は天魔の所為・真言は亡国の悪法・律宗国賊の妄説と云云」(『建長寺道隆への御状』【十一通御書】、文永5年、真蹟不存、創価学会旧版御書全集173ページ)
 
真言は国をほろぼす念仏は無間地獄・禅は天魔の所為・律僧は国賊との給うゆへなり」(『諫暁八幡抄』、弘安3年、真蹟大石寺現存・身延曽存、同585ページ)
 
阿弥陀仏は無間の業禅宗は天魔の所為・真言は亡国の悪法・律宗・持斎等は国賊なり」(『秋元御書』、弘安3年、真蹟不存、同1073ページ)
 
「国主の用ひ給ふ禅は天魔なる由、鎌倉殿の用ひ給ふ真言の法は亡国の由、極楽寺の良観房は国賊なる由、浄土宗の無間大阿鼻獄に墜つべき由」(『波木井殿御書』、弘安5年、真蹟不存、『昭和新修日蓮聖人遺文全集』2002ページ)【『波木井殿御書』は創価学会版御書全集には未収録】
 
 
上に4つの遺文を挙げましたが、このうち日蓮真蹟が現存するのは『諫暁八幡抄』のみです。残りの『建長寺道隆への御状』『秋元御書』『波木井殿御書』は真蹟不存です。
日蓮真言と律への批判は佐渡以降に出てくるものですから、その意味で文永5年の『建長寺道隆への御状』(『与建長寺道隆書』)及び一連の『十一通御書』が古来より偽書とされるのも根拠のないことではないと言えるでしょう。
また弘安5年説の『波木井殿御書』は久遠寺日朝の写本があるのですが、真蹟不存です。しかも上記の引用は文応の安国論上程に際して書かれた文で「四箇の格言」が存在しない『立正安国論』に「四箇の格言」があるとされており、書いてもいないことを日蓮本人が述べることなどあり得ません。姉崎正治氏は同書を偽書としていまして、創価学会版の御書全集にも『波木井殿御書』は収録されていません。
したがって念仏・禅・真言・律の四つに対して併記して批判した御書は真蹟としては『諫暁八幡抄』の1箇所しか存在しないのです。しかも同抄の用例は「四箇の格言」の「念仏・禅・真言・律」の順番ではなく「真言・念仏・禅・律」の順となっています。
 
 
次に「念仏無間」「禅天魔」「真言亡国」「律国賊」の各用例ですが、これが実は日蓮の遺文中では一貫していないのです。
例えば『開目抄』では「天魔のつける法然」(創価学会旧版御書全集227ページ)とされています。また『撰時抄』では「禅宗は日本国に充満してすでに亡国とならんとはするなり」(同280ページ)とありますから、これだけ見れば「念仏天魔」「禅亡国」も日蓮は併記して認めていたことになります。『報恩抄』では「仏説まことならば弘法は天魔にあらずや」(同321ページ)とありますから「真言天魔」になります。
煩瑣に渡るため、これ以上は細かく載せることをしませんが、「念仏無間」「禅天魔」「真言亡国」「律国賊」の各用例は日蓮遺文中では一貫しておらず、他にも「真言天魔」「念仏天魔」「禅亡国」「良観天魔」等の用例が併存しているのです。
 
 
したがって「四箇の格言」は後世の人によって命名されたもので、日蓮の中で固定されていた教義でもありません。現代の我々はそれをきちんと見直しをして、日蓮の思想の再評価をすべきなのかと思います。
 
 
参考文献
株橋隆真「「四箇格言」についての一考察」、『桂林学叢』第21号所収、法華宗教学研究所、2009年