いつもみなさん、ありがとうございます。
さて『本因妙抄』には以下のような記述があります。
「予が外用の師伝教大師生歳四十二歳の御時、仏立寺の大和尚に値ひ奉り、義道を落居し生死一大事の秘法を決し給ふ。曰く、大唐貞元二十一年太歳乙酉五月三日、三大章疏を伝へ各七面七重の口決を以って治定し給えり。」
(創価学会版御書全集、807ページ)
「大唐貞元二十一年」は西暦805年に当たりますが、これは本文の改竄です。
冒頭の画像をよく見比べて頂きたいのですが、ここの実際の日時写本は「大唐貞元二十四年(廾四年)」となっているのがわかるかと思います(画像本文の3行目下です)。また『三大章疏七面相承弘決』でも伝教は「大唐貞元二十四年」(西暦808年)に唐で相伝を受けたことになっているんですね。
この記述は学会版御書で「貞元二十一年」で、更には『富士宗学要集』第1巻でも同様「二十一年」となっています。つまり冒頭の画像を見比べれば一目瞭然で、大石寺はこの「二十四年」を「二十一年」に改竄しているんです。
なぜこのような改竄が行われたかというと理由は簡単で、実は実際の史実と記述が異なってしまうからなんです。
例えば『報恩抄』には以下のような記述が存在します。
(同304ページ)
これがもし仮に「大唐貞元二十一年」が事実であるとするなら伝教大師の年齢は「四十二歳」ではなく「三十九歳」でなければならないはずですし、干支も「乙酉」ではなく「壬午」でなければおかしいはずです。それがそのままになっているのは、改竄としては若干お粗末な印象を受けます。尻尾の見える猿芝居でしょう。
というわけで、『本因妙抄』もまた単なる偽書に過ぎないと私は思います。