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そのような大石寺に突然、日蓮本仏説が現れ、戒壇本尊を正意とする説が出現するのは、9世日有からであり、そして日有の死後は、大石寺に帰服した左京日教と12世日鎮、それ以降の13世日院、14世日主らによって少しずつ教義が整えられていきます。この代になって少しずつ大石寺文献に日蓮本仏説等の現在の大石寺に通じる教義が見られるようになるからです。
「左京日教による大石寺9世日有教義の補完」
永禄元年(1558年)11月9日、京都要法寺の日辰が寂円入道を介して日院に書状を送り、富士各山と通用を図ります。これに対して大石寺日院は拒否する書状を11月9日に送ります。この時の書状が『要法寺日辰御報』になります。
さてこの書状中には『本因妙抄』の引用が見られます。
「然りと雖も仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり。彼の一品二半は舎利弗が為には観心と為り我等凡夫の為には教相と為る。理即但妄の凡夫の為の観心は餘行に渡らざる妙法蓮華経是れなり。(中略)然る間本因妙日蓮大聖人を久遠元初の自受用身と取り定め申すべきなり。」
『本因妙抄』は以前紹介したように、本文中の伝教大師の唐における相伝の年を改竄しています。また堀日亨氏の指摘では多く加筆があることも分かっています。『本因妙抄』はしたがって偽書の疑いが極めて濃厚な文献です。
「『本因妙抄』本文の改竄」