気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

日目から日郷への相伝について。

いつもみなさん、ありがとうございます。今回は大石寺3祖日目以降の相伝についてです。ところで、京都要法寺日辰の『祖師伝』には以下のような記述が存在します。「大石寺衆云く日目大石寺を以ツて日道に付属す日道日行に付属す日行日時日阿日影日有日乗日底…

本師を釈迦如来とする日興。

いつもみなさん、ありがとうございます。さて日蓮のみならず、日興もまた遺された文書から判断するに、久遠実成の釈迦仏を本仏としており、日蓮の本地を上行菩薩としていることは何度かブログでも書いているかと思います。例えば以下のような文章です。ここ…

下山日布と国柱会。

みなさん、いつもありがとうございます。さて今回は戦前の大石寺と国柱会の関係についてです。大石寺の機関誌であった『大日蓮』昭和10年3月号に「日布上人をしのび奉りて」という文章が掲載されているのですが、実はこの中で大石寺55世下山日布氏が国柱会の…

論点を逸らす狂信的な態度。

いつもみなさん、ありがとうございます。さて私はこんなブログを書いて、創価学会や大石寺を批判していますが、別段大したことを書いているという自覚はありません。ですから、読者の方がどのようにこのブログを利用されても構わないと思います。さすがに剽…

臓器移植について。

いつもみなさん、ありがとうございます。さて今回はトインビーと池田氏の対談から臓器移植の問題について、すこし考えてみようかと思います。ブログのどこかにも書きましたが、私はこのトインビー対談もまたレコードの全編が公開されていないことから、代筆…

法華経に関係のない不動愛染・八幡天照。

いつもみなさん、ありがとうございます。さて日蓮の本尊は法華経を根本とするものとされ、その虚空会の儀式を文字によって表した曼荼羅と考えられています。ところが、よく考えてみると左右に梵字で配された不動明王(梵字「वं」「バン」本来、不動ではなく…

日道は日興の葬儀に参列していない。

いつもみなさん、ありがとうございます。ところで大石寺開山の日興が亡くなるのは元弘3年(正慶2年、1333年)2月7日のことです。その約1週間後、2月13日に日目は『日興上人御遺跡事』を書き、日蓮御影と御下文守護について違背のないよう門下に戒めています…

興門派の持ち回り管長。

いつもみなさん、ありがとうございます。最近はわずか一週間で3万近いアクセス数があり、本当に驚いています。読んで頂いている皆さんに、改めて感謝申し上げます。さて今回は明治9年に発足した興門唱導会(日蓮宗興門派、本門宗)についてです。そもそも歴…

いずれ衰退する組織。

いつもみなさん、ありがとうございます。さて私は自分の考える正しさを他者に強要するつもりは全くありません。私がこのブログで書いているのは、単に根拠の提示です。その根拠が不自然であり、説得性に欠けるなら、それらは批判されるべきでしょう。さらに…

活動から身を引くこと。

いつもみなさん、ありがとうございます。 さて現在の創価学会の活動家さんに一番私が伝えたいことは「退会されるか、早めに非活、未活メンバーになってください」ということです。 そもそも創価学会の高齢化は日本の一般よりもはるかに早いスピードで進んで…

徒然なるままに。

いつもみなさん、ありがとうございます。私は活動家時代、自分の組織の部員さんが大好きでした。正直に言うと上の幹部は好きではなかったです。私は活動家だった頃、部員さんと集まってワイワイ楽しく話すのが好きでした。皆で焼肉を食べたこともあります。…

南部実長の仏像造立に対する日興の書状。

いつもみなさん、ありがとうございます。さて日蓮のみならず、日興もまた久遠実成の釈迦本仏説に立ち、四菩薩の脇士を伴った釈迦像の造立を認めていたことは、以前からブログでも書いています。「日興は仏像本尊を認めている」http://watabeshinjun.hatenabl…

内部・外部という言い方。

いつもみなさん、ありがとうございます。ところで、創価学会員さんは自分たち会員のことを「内部」と呼んで、それ以外の非会員、信徒でない人のことを「外部」とよく呼びます。実は私は活動家時代から、この呼び方が好きではありませんでした。自分たちを「…

日興は身延から何も持ち出していない。

いつもみなさん、ありがとうございます。さて今回は日興の身延離山についてです。大石寺側の見解としては、日興が身延を離れる際に「戒壇本尊」や「御肉牙」「日蓮の遺骨」等を持ち出し、富士大石寺に来たとしていますが、これは史実とは異なります。結論か…

戒壇本尊の重さ。

いつもみなさん、ありがとうございます。さて弘安2年造立とされる大石寺の戒壇本尊が、後世の贋作でしかないということを、私はブログで度々指摘しています。加えて今回指摘したいのは、戒壇本尊の実際の大きさについてです。というのは、大石寺の言い伝えで…

日興遺誡置文のこと。

いつもみなさん、ありがとうございます。さて『日興遺誡置文』について、これを日興真蹟と私は考えていません。というより、文献学的な議論を基本とするなら、これを安易に一次文献とすることは回避されるべきでしょう。大石寺4世日道の『三師御伝土代』によ…

任用試験が終わって。

いつもみなさん、ありがとうございます。さて先月、創価学会の任用試験が終わって、いろいろ現場の声が聞こえてきました。各方面でそれぞれの実態は異なるかとは思いますが、現場で問題になったのは一部で任用試験を受けなかった人がいたことです。本部で1名…

日尊が建てた寺。

いつもみなさん、ありがとうございます。ところで、先日のブログ記事でも指摘したように、大石寺の教義形成には興門流の諸山の影響が大きいかと思いますが、とりわけ京都要法寺の存在を抜きにして語れないように思います。例えば創価学会が現在独自に信徒に…

血脈抄の相伝について。

いつもみなさん、ありがとうございます。さて大石寺18世(17世)日精の『富士門家中見聞』上の日興伝の項には次のような一文があります。「正和元年十月十三日に両巻の血脈抄を以て日尊に相伝し給ふ、此ノ書の相承に判摂名字の相承、形名種脱の相承あり、日…

『遺誡置文』を見て思うこと。

いつもみなさん、ありがとうございます。さて今回は『日興遺誡置文』から少し考えてみたいと思います。私はこの二十六箇条の置文が日興の著作だとは考えていません。基本的にこれらは北山本門寺等の日興門流に伝わってきた寺内文書であるという理解です。「…