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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

本師を釈迦如来とする日興。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて日蓮のみならず、日興もまた遺された文書から判断するに、久遠実成の釈迦仏を本仏としており、日蓮の本地を上行菩薩としていることは何度かブログでも書いているかと思います。



例えば以下のような文章です。ここでは末法における「本師」が「釈迦如来」であると日興は述べています。



「ただし日本国の一さいしゆしやう、ぢごくにおちうずると、しやう人の仰候は、上下万民、しよほつしんのしやかほとけをすてまいらせて、あるいは、あみだほとけ、あるいは大日によらい、あるいはやくしほとけを、しとたのみて、ほんししやかによらいにそむきまいらせ候あひだ、むけんぢごくとは、をうせ候ぞかし。」
(日興『佐渡国法華講衆御返事』日蓮正宗歴代法主全書1-182〜183ページ)


ここで日興は「ほんししやかによらい」に背く間、日本国は「むけんぢごく」であると書いています。この日興真蹟は北山本門寺に現存します。


また南部実長波木井実長)に宛てた日興の書状では以下のように書かれています。


「一閻浮提之内日本国、日本国之内甲斐国甲斐国中波木井郷久遠実成釈迦如来之金剛宝座也、天魔波旬不可悩、上行菩薩日蓮聖人之御霊崛也、怨霊悪霊もなたむへし」
(日興『與波木井実長書』同162ページ)


日興は波木井郷を「久遠実成釈迦如来の金剛宝座」として、日蓮を「上行菩薩日蓮聖人」と述べています。


このように、日興の文献を一つ一つ読んでみると、日興自身の思想に日蓮を本仏とする考え方を全く読み取ることができません。
多くの日蓮門流が指摘していることですが、日興は師の日蓮の教えに厳格であったことはよく知られていることです。大石寺系のみならず、他山からも日興の厳格さはきちんと評価されています。
にも関わらず、日興の書状や遺文の中に日蓮を本仏とする文脈を全く読み取ることができないということは、そもそも日蓮日興の中に日蓮本人を本仏とする発想が存在しなかったということを如実に物語っているかと思います。