いつもみなさん、ありがとうございます。
このブログでは、そもそも戒壇本尊自体、日蓮作ではない、後世の造立でしかないと判断しています。そして日蓮や日興の遺文から「出世の本懐」というものが「弘安2年戒壇本尊」を指しているわけではないことを繰り返し述べています。
「『余は二十七年なり』って。」
「出世の本懐」を「弘安2年戒壇本尊」と結びつけるのは、論理の飛躍、拡大解釈でしかありません。そもそも日興は『原殿御返事』で日蓮の出世の本懐を「南無妙法蓮華経教主釈尊久遠実成如来の画像」と述べています。
ところで、この「出世の本懐」という言葉、『聖人御難事』以外の日蓮遺文には現れない表現なのでしょうか。
実はこの「出世の本懐」という言葉は『阿仏坊御書』(真蹟不存、真偽未決)に出てくるのです。
「あまりに・ありがたく候へば宝塔をかきあらはし・まいらせ候ぞ、子にあらずんば・ゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。」
日蓮が書き表した宝塔をさして「出世の本懐」と述べています。
とすると一つの矛盾が生じます。この『阿仏坊御書』は真蹟不存ですが、述作年代は文永9年とされています。