気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

常泉寺に戒壇本尊の複写が存在する。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さて、戒壇本尊の写しを法主が書写してそれを信徒に頒布するというのが大石寺の本尊教義です。しかしながら「書写」と言いながら全く同じ相貌に書いていません。
 
 
「日興書写曼荼羅戒壇本尊との相違」
 
「能く能く似せ奉るなり」
 
「弘安10年日興本尊と戒壇本尊との相違」
 
大石寺3祖日目書写本尊と戒壇本尊との相違」
 
大石寺4世日道書写本尊と戒壇本尊との相違」
 
大石寺5世日行書写本尊と戒壇本尊との相違」
 
 
上記引用の「能く能く似せ奉るなり」に書きましたが、そもそも相伝とされる『御本尊七箇相承』にはよくよく似せて書くことが指示されています。それなのに法主書写本尊に戒壇本尊と同じ相貌で書かれたものがただの一体も存在しないのです。
 
 
それなのに、日蓮正宗信徒は「法主の内証を書写するのだ」という訳の分からないことを述べてきます。
そんな客観性のないオカルト教義なら信用性を失うだけなのに、彼らはそのことを理解しようとしません。
 
 
 
ところで、戒壇本尊の正式な写し、全く同じ相貌の本尊というのは大石寺やその末寺には存在しないのでしょうか。
それが一体だけ記録に残されています。
それは東京・向島常泉寺にある本尊です。
この記録は『開創四百年記念 久遠山常泉寺略誌』(山口範道編、平成8年、常泉寺、非売品)に記録されています。

ここには「宗門第一之重宝御戒壇正写」と記されています。
全ての大石寺の本尊が戒壇本尊の写しだという教義なら、なぜわざわざ「宗門第一之重宝」「御戒壇正写」と示書で書く必要があるのでしょう。そもそも「御戒壇」と呼ばれる本尊は大石寺においては弘安2年戒壇本尊以外にあり得ない筈です。とするとこの本尊は戒壇本尊を正確に模写したものということになります。それが常泉寺に存在するということです。
 
 
大石寺には古来から戒壇本尊の模造レプリカが複数存在するという噂が旧信徒たちの中に伝わっています。彼らから聞く話では戦時中に空襲を避けるために埋めた話とか、掘り出した後に作り直した話とかがまことしやかに伝えられています。
常泉寺大石寺戒壇本尊の複写が存在するという記録がある以上、戒壇本尊の何らかの複写品が複数大石寺内外にあろうということは容易に想像できることだと思います。