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「能く能く似せ奉るなり」
「弘安10年日興本尊と戒壇本尊との相違」
上記引用の「能く能く似せ奉るなり」に書きましたが、そもそも相伝とされる『御本尊七箇相承』にはよくよく似せて書くことが指示されています。それなのに法主書写本尊に戒壇本尊と同じ相貌で書かれたものがただの一体も存在しないのです。
そんな客観性のないオカルト教義なら信用性を失うだけなのに、彼らはそのことを理解しようとしません。
それが一体だけ記録に残されています。
ここには「宗門第一之重宝御戒壇正写」と記されています。
全ての大石寺の本尊が戒壇本尊の写しだという教義なら、なぜわざわざ「宗門第一之重宝」「御戒壇正写」と示書で書く必要があるのでしょう。そもそも「御戒壇」と呼ばれる本尊は大石寺においては弘安2年戒壇本尊以外にあり得ない筈です。とするとこの本尊は戒壇本尊を正確に模写したものということになります。それが常泉寺に存在するということです。
大石寺には古来から戒壇本尊の模造レプリカが複数存在するという噂が旧信徒たちの中に伝わっています。彼らから聞く話では戦時中に空襲を避けるために埋めた話とか、掘り出した後に作り直した話とかがまことしやかに伝えられています。