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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

大石寺5世日行書写本尊と戒壇本尊の相違。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて少し間が空いてしまいましたが、大石寺歴代法主書写本尊の座配と戒壇本尊の座配とを比較対照するシリーズをまた再開してみます。
これらをやっていって非常に感じるのは、



大石寺歴代法主には戒壇本尊を正確に書写するという考え方が最初から存在しない。」


「奉書写之という文言を大石寺では『戒壇本尊を書写した』という意味に解しているが、本来そのような教義は当初の大石寺には存在せず、単なる後付け教義に過ぎない。」



という点です。




さて今回紹介するのは大石寺5世の日行書写本尊です。最初のものは文和2年3月12日書写で、柳目妙教寺蔵のものです。

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次に延文4年3月8日書写の本尊で、同じく柳目妙教寺蔵のものになります。

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戒壇本尊の座配と対照して、私が気づいた点は以下のような点です。



1、「奉書写之」の文字が存在しない。


2、「鬼子母神」「十羅刹女」が戒壇本尊の座配に比べて下方に置かれ、特に延文4年本尊では首題の真下に位置する特異な位置になっている。


3、戒壇本尊には書かれていない「章安大師」「天親菩薩」「龍樹菩薩」が勧請されている。


4、戒壇本尊では「大日天王」と「第六天魔王」が「舎利弗尊者」の右に置かれるのに対して、日行書写本尊はやや上にずれており、特に文和2年本尊で「大日天王」「第六天魔王」は上に蛇行して上段の四菩薩に接近している。


5、戒壇本尊には書かれていない「有供養者福過十号」と「若悩乱者頭破七分」が書かれている。


6、延文4年本尊で「天台大師」の位置が戒壇本尊と左右逆になっている。



大石寺歴代法主で、戒壇本尊と全く同じ座配・相貌で本尊書写をした人は存在しません。
これはそもそも戒壇本尊が後世の偽作であり、そしてその偽作造立の後、さらに後世になって「法主書写の本尊は戒壇本尊の写し」「それを示すのが『奉書写之』の文字である」という考え方を後付けで出してきただけなのかと思います。