いつもみなさん、ありがとうございます。
これらをやっていって非常に感じるのは、
という点です。
次に延文4年3月8日書写の本尊で、同じく柳目妙教寺蔵のものになります。
戒壇本尊の座配と対照して、私が気づいた点は以下のような点です。
1、「奉書写之」の文字が存在しない。
3、戒壇本尊には書かれていない「章安大師」「天親菩薩」「龍樹菩薩」が勧請されている。
4、戒壇本尊では「大日天王」と「第六天魔王」が「舎利弗尊者」の右に置かれるのに対して、日行書写本尊はやや上にずれており、特に文和2年本尊で「大日天王」「第六天魔王」は上に蛇行して上段の四菩薩に接近している。
5、戒壇本尊には書かれていない「有供養者福過十号」と「若悩乱者頭破七分」が書かれている。
6、延文4年本尊で「天台大師」の位置が戒壇本尊と左右逆になっている。
これはそもそも戒壇本尊が後世の偽作であり、そしてその偽作造立の後、さらに後世になって「法主書写の本尊は戒壇本尊の写し」「それを示すのが『奉書写之』の文字である」という考え方を後付けで出してきただけなのかと思います。