気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日興の晩年の書状を否定していた弟子たち。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さて日蓮門流は日蓮滅後、各門流に分かれ、やがて正統派争いをして分裂していうことになります。
このことは多くの記録が示していることですが、こと日興門流や富士門流八本山系でさえも日興在世中から既に正統派争いをしていたと考えられる節があります。
 
 
 
今回具体的に示すのは『日興譲状』(日代八通譲状)の一つです。以下の画像はそのうちの一つで、『日興上人全集』(興風談所)332〜333ページのものです。

 
 
ここで「若号七十以後状共、此条条棄置之弟子等可為大謗法之仁也」とされています。これは「日興が70歳以上の老齢になられてからの譲状等について、これを捨て置こうとする弟子たちは大謗法の者たちである」という意味として読むことができます。
 
 
これは日興門流の中で「日興が70歳以降に書いたとされる譲状等」に関して、既に教団内でその正統性について疑惑が出て、それらを否定する者たちが当時存在しており、それらを日代を正統とする門流の者たちが批判していたことを示しています。
事実、この『日興譲状』の元徳2年の時に、日興は87歳です。私はこの『日代八通譲状』も後世の偽作と考えていますが、このように日興が在世当時から否定され、その原因として偽書が当時から作られていたことが考えられることになります。
 
つまり日興門流、富士門流中にも既に正統派争いが生じており、決して一枚岩ではなかったということが言えるのかと個人的には思います。