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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「大龍王」の書法。

 
 
 
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さて今回は戒壇本尊の書法について、以前は「天照大神」と「八幡大菩薩」の位置のことを書きましたが、今回は「大龍王」について書いてみたいと思います。大石寺は歴代の法主戒壇本尊を書写しているとのことですが、仔細に検証してみると大石寺法主らは正確にそれを書き写すという意識がどうも欠落しているようなのです。
 
 
天照大神八幡大菩薩の位置」
 
 
最初に「大龍王」の書き方について、戒壇本尊そのものを見てみましょう。
戒壇本尊には「大龍王」と書かれています。画像は金原明彦『日蓮と本尊伝承』(水声社、2007年)に載るもの、及び柳澤宏道『石山本尊の研究』(はちす文庫、2013年)に載る座配図を紹介します。どちらも「大龍王」と判読しています。

 
例えば大石寺の近年の法主を見てみますと、多くは確かにこの「大龍王」の通りに書いています。具体的には52世日霑、60世日開、62世日恭、64世日昇、66世日達、67世日顕、68世日如と確認してみましたが、全て「大龍王」と書かれています。現在の68世早瀬日如も「大龍王」と書いています。

 
ところが、大石寺の過去の法主に遡るとそれが一貫していないことがわかります。
例えば現在の創価学会で頒布されている、大石寺26世日寛書写本尊ですが、ここでは「八大龍王」と書かれています。

 
また大石寺33世日元書写本尊でも「八大龍王」と書かれています。実はこの書き方、大石寺の歴史を見ると一貫しておらず、必ずしも戒壇本尊の通りには書かれていないのです。

 
また大石寺開山日興、また3祖日目の本尊には「大龍王」が書かれていないものが多く存在します。
例えば日興書写本尊で、正慶元年(1332年)11月3日、日目の天奏の功を讃えて授与された本尊には、どこにも「龍王」は書かれていません。この本尊は日目から大石寺4世日道に相伝された由緒ある本尊であり、大石寺に現存しているものです。それが戒壇本尊と相貌が全く違って書かれており、しかも「大龍王」が書かれていないのです。

 
つまり戒壇本尊は日興や日目の代には存在しておらず、そもそも戒壇本尊を写すという教義さえ存在していなかったことがわかります(日興書写本尊に「奉書写之」と書かれた本尊は一体も存在しません)。
そして後代に至って戒壇本尊が偽作されても、それを正確に書き写すと言うことを大石寺法主がしてきたとは言えないことになるでしょう。