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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

大石寺9世日有書写本尊と戒壇本尊との相違。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は戒壇本尊の相貌とともに、戒壇本尊の偽作者として指摘されることが多い、大石寺9世日有の書写本尊を見比べてみようと思います。
 
まず日有書写本尊を挙げましょう。
 
①文安4年(1447年)5月19日、仙台村上家蔵

②宝徳4年(1452年)4月13日、仙台仏眼寺蔵

③長禄4年(1460年)7月18日、柳目妙教寺

次に戒壇本尊の画像と座配図です。

 
このうち、①と②は戒壇本尊と相貌も書き方も全然違っていることがわかるかと思います。
戒壇本尊は、勧請された諸尊を4段(天照大神八幡大菩薩を別とすると5段)に分けて書いているのに、日有の①と②は全体を3段で収めてしまっているのです。しかも書く場所がなかったのか、②では「仏滅度後二千二百三十余年……」の讃文を向かって右側ではなく左側に書いています。
 
 
また戒壇本尊に書かれている筈の「阿修羅王」「転輪聖王」「提婆達多」が、日有の①②③には全く書かれていません。
 
 
『御本尊七箇相承』には「見へ給ひつる処の本尊の御形なりしをば能く能く似せ奉るなり」「遊ばさるる儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ」(富要1-32〜33)と書かれています。相承に「きちんと似せて書く」ことが示されているのに、大石寺法主の本尊書写は相貌を似せて書くことを全くしていないのです。

大石寺9世日有は『新池抄聞書』で大石寺の本尊堂を「三妙合論の事の戒壇」と述べています。このことから日有が戒壇本尊の偽作者として可能性が高いことが多く指摘されています。ただ日有が「戒壇本尊」という語を使ったことはないのです。
もしも日有が戒壇本尊を偽作し、その上で本尊堂を「事の戒壇」と定義したと仮定すると、この当時は戒壇本尊の書写を法主が行い、それを信徒に与えるという教義がなかったことが推察されます。それに日有は『化儀抄』で日蓮=本尊説を唱えた人です。
 
思うに、大石寺6世日時から大石寺14世日主くらいの時期に戒壇本尊が「偽作」され、それを大石寺の権威として利用するうちに、次第に法主の権威として「戒壇本尊を書写して信徒に与える」という教義が生まれたのでしょう。ただ上古の法主たちは戒壇本尊と相貌が全然違う本尊を書いており、教義の整合性を図るために後付けで「法主の内証を書写する」という珍説が大石寺にできたということなのでしょう。
 
追記
本尊画像の参考文献は以下の通りです。
『御本尊集 奉蔵於奥法寶』日目上人奉讃会、平成12年。
柳澤宏道『石山本尊の研究』増補版、はちす文庫、平成25年。