気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

能く能く似せ奉るなり。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて私はこのブログで大石寺蔵の弘安2年戒壇本尊が後世に創作された贋作に過ぎないことを繰り返し述べていますが、論拠として『御本尊七箇相承』の指示と戒壇本尊の相貌が違うことを何度か指摘しています。


戒壇本尊と『御本尊七箇相承』との相違」

「『御本尊七箇相承』から考える」

「七箇相承の『書くべし』」


上記の「七箇相承の『書くべし』 」を読まれるとわかるかと思いますが、大石寺に伝わっている(と大石寺が主張する)相伝に「このように御本尊は書くべし」と具体的に書かれているにもかかわらず、根本の戒壇本尊本体がその通りに書かれていないとすれば、そもそも大石寺に伝わってきた相伝とは何だったのかという問題にさえなってくるはずです。


今回、ブログで紹介したいのは、この『御本尊七箇相承』の終わりの方に書かれている、ある一文についてです。
具体的にそのまま書いてみましょう。



「一、明星直見の本尊の事如何、師の曰く末代の凡夫・幼稚の為めに何物を以つて本尊とす可きと・虚空蔵に御祈請ありし時・古僧示して言はく汝等が身を以つて本尊と為す可し・明星の池を見給へとの玉へば、即ち彼の池を見るに不思議なり日蓮が影・今の大曼荼羅云云、此の事を横川の俊範法印に御物語りありしを法印讃嘆して言く善哉々々・釈迦古僧に値ひ奉つて塔中に直授せるなり貴し貴しと讃め被れたり、日興は浪の上にゆられて見へ給ひつる処の本尊の御形なりしをば能く能く似せ奉るなり、仍つて本尊書写の事・一向日興之を書写し奉る可き事勿論なるのみ。」
(『御本尊七箇相承』富士宗学要集1-33ページ)


簡単に通解してみましょう。


「一、明星直見の本尊のこと
師匠日蓮が語るところによれば、末法の愚かな凡夫のために何物をもって本尊としたらよいのか、虚空蔵菩薩日蓮が祈っていた時のこと、ある老僧がその答えを示して次のようにいった。
『あなたの身をもって本尊とすべきである。明星(金星)の映る池を見てご覧なさい』
そう述べられたので、直ちにその池を見ると不思議なことに日蓮の映る影がまさに大曼荼羅であった。このことを日蓮が横川の俊範(比叡山修学時代の日蓮の師匠)に語ると、俊範はそれを讃嘆して『それは素晴らしい。釈迦老僧に会われて塔中で直接に教えを授かったのだ。貴いことだ』とお褒めになられた。
日興はその池の波に揺られて見えたところの本尊の影をよくよく似せて作らせて頂いている。したがって本尊書写のこと、これを日興がきちんと書写し奉るべきことは当然のことなのである。」


この話の信用性はともかくとして、ここで指摘したいのは、日蓮が感得した本尊について日興の見解として「能く能く似せ奉るなり」「日興之を書写し奉る可き事勿論なるのみ」と述べているということです。
つまり『御本尊七箇相承』を真蹟と考える大石寺圏の教義では、御本尊書写について「能く能く似せて書くべき」なのであり、その点について『七箇相承』の指示に背いて書かれている戒壇本尊や多くの日興書写本尊が存在することは、大いなる自己矛盾になってしまうということです。