気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日興遺誡置文のこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。


さて『日興遺誡置文』について、これを日興真蹟と私は考えていません。
というより、文献学的な議論を基本とするなら、これを安易に一次文献とすることは回避されるべきでしょう。


大石寺4世日道の『三師御伝土代』によれば(元弘3年、日蓮宗滅後21年)、元徳4年1月12日の「日興御遺告」についてきちんと書いて残してあるにも関わらず、ここには『日興遺誡置文』について全く言及がありません(富士宗学要集5-9〜10ページ)。


日蓮宗宗学全書によれば、底本とされている写本は保田妙本寺日我の写本(天文5年、1536年、日蓮滅後255年)です。
ところが、大石寺に残っているとされる日時写本は現在もなお公開されていません。


この『日興遺誡置文』に限らないのですけど、日蓮や日興述作の真贋問題は、大石寺が自山の写本を公開さえすれば解決する問題が他にも多くあるように思います。
しかしながらそれがなされていない。しかも日道の『三師御伝土代』にも「日興御遺告」が残されながら「遺誡置文」に関する言及もない。
日蓮宗学で『日興遺誡置文』が真蹟として、信頼できる一次文献として扱われていないのは以上のような理由であり、ごく一般的な考え方であると思います。


事実、宮田幸一氏もこれら日蓮宗学の一般的な見解を支持していまして、同書については日興真蹟と考えるのではなく、歴史的に構成された寺内文書として評価することを基本の原則とされているようですが、私はこの見解に概ね同意します。現時点で『遺誡置文』を日興の一次文献と臆断することは回避されるべきかと思います。