気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日興は身延から何も持ち出していない。




いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は日興の身延離山についてです。


大石寺側の見解としては、日興が身延を離れる際に「戒壇本尊」や「御肉牙」「日蓮の遺骨」等を持ち出し、富士大石寺に来たとしていますが、これは史実とは異なります。


結論から言いますと、日興は身延から何も持ち出していません。
日尊の弟子である日大による『日尊上人仰云』(日尊実録)では以下のように記録されています。


「日興上人仰に云く、全身・砕身の二種の舎利あり、彼は砕骨也、法門は全身也、砕身に依るべからず、(中略)身延澤御退出の刻、公方聖教世事雑具等、皆悉く御墓所に置くべきの由、衆徒に触れられし時、面面供奉の人人、一紙半銭も持ち出ること無し、(中略)大聖人の御遺骨身延山に納め奉るの段、誰か疑貽あらんや」
(日大『日尊上人仰云』日蓮宗宗学全書2-419ページ)


また日興は『原殿御返事』の追記で、身延を去った際に持って来てしまった涅槃経2巻をきちんと身延に送り返したことが書かれています。引用してみましょう。


「追って申し候。涅槃経第三第九二巻御所にて談じて候いしを、愚書に取具して持ち来って候。聖人の御経にて渡らせ給い候間、慥かに送り進らせ候。」
(日興『原殿御返事』編年体日蓮大聖人御書、創価学会版、1735ページ)



ここから大石寺59世の堀日亨氏は、日興が身延を離れる際に何も持ち出していないという見解を『富士日興上人詳伝』で述べています。
つまり日興が身延を離れる際に、日蓮由来のものを日興は何も持ち出していないというのが、事実かと思います。