気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

臓器移植について。




いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回はトインビーと池田氏の対談から臓器移植の問題について、すこし考えてみようかと思います。



ブログのどこかにも書きましたが、私はこのトインビー対談もまたレコードの全編が公開されていないことから、代筆の可能性が高いと考えていますが、いちおうここでは池田氏の著作と仮定して思うことを書いてみようと思います。


トインビー氏との対談の中で、池田大作氏は仏教的な生命至上主義とも言うべき考え方を基本原則としています。
例えば池田氏は臓器移植に関して次のように述べています。


「ただ、現段階ではやはり、提供者の死が絡む臓器移植については、原則として行うべきではないという基本線を貫くことが必要ではないでしょうか。
私が現段階での臓器移植に反対するのは、一つはこの"死の判定"の問題があるからです。(中略)仮に拒絶反応の抑制が可能になったとしても、医学の進むべき方向は、あくまで臓器移植ではなく、人工臓器の開発にあると私は考えます。」
(A・トインビー/池田大作『二十一世紀への対話』2、旧聖教文庫版、19〜20ページ)


となりますと、創価学会の教団倫理、生命を基調とする仏教思想の観点からは「死の判定」の問題もあり、臓器移植はすべきではないということになろうかと思います。


そして池田氏はたとえ拒絶反応の抑制が医学の進展により可能となったとしても、医学の進むべき方向は臓器移植ではなく、人工臓器の開発であるべきとしています。


では現場の創価学会員さんが、もしも臓器移植によって助かる命があったとして、それらは否定されるのでしょうか。実はこのへんの話を私は活動家時代から聞いたことがありません。
池田氏もトインビー氏も「生命の利用という視点」が生命の軽視に繋がるとして、安易な臓器移植の利用に警鐘を鳴らしているようにここの文脈は読めますが、公明党が果たして「臓器移植に明確に反対する」としているのか、私は寡聞にして聞いたことがありません。


2009年の臓器移植法案採決の際に、公明党は自民や民主とともに党議拘束を外しました。
その結果、改正案として臓器移植法が可決成立した経緯があります。公明党の谷合正明氏も改正案に賛成したことがブログで紹介されています。




脳死を人の死と判定することの難しさから、臓器移植法の採決に公明党党議拘束をかけなかったということはまあ理解できますが、そもそも池田氏が考える臓器移植反対の考えとはやや乖離している印象などを私は受けます。
つまり臓器移植の有効性について、公明党他の政党も一定程度理解していて、その中で死の判定が難しい以上、「本人の意志表示」と「遺族の書面による承諾」を基本原則としてそれらを認めるというのが平成22年の臓器移植法改正の趣旨なのかと思います。公明党としても政治として一定の結論を出したい、そしてそれによって助かる命があるならそれに政党として応えたいというものなのかもしれません。


しかしそれであるなら、本来池田氏の考え方は「あくまで医学の進むべき方向は臓器移植ではなく、人工臓器の開発」であるとしているわけで、その方向への公明党の考え方はどうなっているのか、よくわからないというのが個人的な印象です。


この臓器移植の問題だけではなく、池田氏の考える生命至上主義とは、どのような生命倫理なのか、妊娠中絶や自殺、安楽死の問題に関してはどうなのか、今ひとつ私は創価学会の態度が曖昧な状態のままにされている気がします。