いつもみなさん、ありがとうございます。
ですから少なくとも大石寺は明治9年から明治33年までの20年以上も北山本門寺や京都要法寺他と合同して一宗派を形成する寺格に過ぎませんでした。まして「日蓮正宗」などという名前は明治45年(1912年)6月7日に57世日正の代になって初めてできたものであり、それまで「日蓮正宗」などという宗派は歴史上存在しませんでした。
「興門派の持ち回り管長」
冒頭の画像は正和3年10月15日の日興書写曼荼羅(厚木・本禅寺蔵)の右下部分の画像ですが、この部分には「明治丗年十月廿三日奉加筆五十六世日應花押」と書かれています。つまり大石寺56世大石日応がこの日興本尊に自ら加筆をしていることがわかるかと思います。