いつもみなさん、ありがとうございます。
さて先日、大石寺3祖日目の書写曼荼羅(正中3年卯月、小泉久遠寺蔵)を画像を挙げて紹介しましたが、ここでは『御本尊七箇相承』で「日蓮在御判」と書くべきとされているところが「日蓮聖人」と書かれていることを紹介しました。
で、よく調べてみると、実は日興書写本尊の中にも初期の中に3体、「日蓮聖人」と書かれたものが存在することがわかりました。
1、正応3年10月18日、讃岐本門寺蔵
2、正応5年10月13日、宮城上行寺蔵
3、正応年間、山梨正法寺蔵
今回、冒頭画像で紹介しているのは、正応5年10月13日、日興47歳の時の書写である、宮城上行寺蔵の曼荼羅です。
画像ではっきりわかるかと思いますが、日興が『御本尊七箇相承』の指示と明らかに相違して「日蓮聖人」と書き込んでいます。
『御本尊七箇相承』には以下のように書かれています。
(富士宗学要集1-32ページ)
ということは、日興自身が『御本尊七箇相承』に背いているということになります。
ここから考えても『御本尊七箇相承』は日興在世中にも存在しなかった、後世の偽作であることは明確かと思います。