気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日興も「日蓮聖人」と本尊に書いていること。

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いつもみなさん、ありがとうございます。
さて先日、大石寺3祖日目の書写曼荼羅(正中3年卯月、小泉久遠寺蔵)を画像を挙げて紹介しましたが、ここでは『御本尊七箇相承』で「日蓮在御判」と書くべきとされているところが「日蓮聖人」と書かれていることを紹介しました。
また以前、ブログではこの『御本尊七箇相承』の指示と相違する「日蓮聖人」という書記法が他にも大石寺6世日時や第8世日影にも認められることを紹介したことがあります。


曼荼羅の『日蓮聖人』という書記法」


で、よく調べてみると、実は日興書写本尊の中にも初期の中に3体、「日蓮聖人」と書かれたものが存在することがわかりました。


具体的に言いますと、次の3体の曼荼羅では白蓮阿闍梨日興自身が『御本尊七箇相承』の指示と相違して「日蓮聖人」という書記法を採用しています。


1、正応3年10月18日、讃岐本門寺蔵
2、正応5年10月13日、宮城上行寺蔵
3、正応年間、山梨正法寺


今回、冒頭画像で紹介しているのは、正応5年10月13日、日興47歳の時の書写である、宮城上行寺蔵の曼荼羅です。
画像ではっきりわかるかと思いますが、日興が『御本尊七箇相承』の指示と明らかに相違して「日蓮聖人」と書き込んでいます。

『御本尊七箇相承』には以下のように書かれています。


日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」
(富士宗学要集1-32ページ)


大石寺日蓮から日興に伝わっていたとしている『御本尊七箇相承』で「日蓮在御判」と書くべしとされているにも関わらず、日興自身がその指示と相違する書き方をしています。
ということは、日興自身が『御本尊七箇相承』に背いているということになります。
ここから考えても『御本尊七箇相承』は日興在世中にも存在しなかった、後世の偽作であることは明確かと思います。