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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「代々の聖人悉く日蓮なり」とは。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて今回は、大石寺の狂信的な一部の法華講さんが使いたがる文章を取り上げてみたいと思います(とりわけ妙観講さんが多いかもしれません)。



前回は「相伝に有らざれば知り難し」というものでした。

「『相伝に有らざれば知り難し』って?」



今回ご紹介するのは、次の一文です。



「代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」



この文章、私が創価班の広宣部として妙観講さん対策で対論なんかに明け暮れていた頃は、妙観講さんに本当によく使われていました。代々の法主上人猊下日蓮のように敬うべきだという意味で彼らは用いていました。



ところで、この文章が出てくるのは、どこの何という遺文でしょうか。
これは『御本尊七箇相承』の中の一文なのです。
前後を引用してみましょう。



「一、日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。」
(『御本尊七箇相承』富士宗学要集1-32ページ)


つまり御本尊に「日蓮在御判」と書かれてあるのは「代々の聖人も日蓮と同じだという意味」だということになります。



ところで、この『御本尊七箇相承』は御本尊書写のことを書いたものなのですが、そもそも大石寺法主が『御本尊七箇相承』の通りに御本尊を書写していません。大石寺奉安堂の戒壇本尊でさえそうなのです。

戒壇本尊と『御本尊七箇相承』との相違。」



つまり大石寺法主自身が、本尊書写に関してこの『御本尊七箇相承』に違背していることになります。日興や日目書写本尊でも『御本尊七箇相承』の通りに書かれていない本尊は多く散見されるところです。



加えて、この『御本尊七箇相承』が伝わってきたとされる寺のことが問題になります。
『富士宗学要集』では、大石寺59世堀日亨が参考にしたのは保田妙本寺の日山の写本になります。
『御本尊七箇相承』の写本で知られるものは、保田妙本寺の日山写本、そして日悦の写本です。『日蓮宗宗学全書』の興尊全集興門集で参考にしたのも保田妙本寺日山写本、日悦写本、堀慈淋(日亨)所蔵本とされます。(ちなみに宗学全書には『御本尊七箇之相承』として収録されています)
つまり『御本尊七箇相承』が伝わってきたのがどこの山なのかという問題になり、これが保田妙本寺なのであるなら、「代々の聖人」として「日蓮」のように敬うべきは保田妙本寺法主になってしまいます。



次に『御本尊七箇相承』の次の一文を見てみましょう。これは先の引用「代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」の少し前に書かれたところです。



「七 日蓮と御判を置き給ふ事如何(三世印判日蓮躰具)、師の曰はく首題も釈迦多宝も上行無辺行等も普賢文殊等も舎利弗迦葉等も梵釈四天日月等も鬼子母神十羅刹女等も天照八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり、之に付いて受持法華本門の四部の衆も悉く聖人の化身と思ふ可きか。」
(同32ページ)



この『御本尊七箇相承』は題号の通り「一」から「七」にわたって7つの条項が記されています。上の引用はその7番目になります。
ところで、最初の引用である「代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」の部分は、7つの条項が終わった後に「一」と題して書かれた4つの追加条項のような形に書かれています。
『御本尊七箇相承』の7番目の条目にはきちんと「四部の衆」もまた「聖人の化身」と思うべきことが書かれています。「四部の衆」とは「在家出家の男女」のことで、出家者や法主だけに限ったことではありません。
つまり『御本尊七箇相承』では、法主だけでなくきちんと「四部の衆」すなわち在家信徒たちも日蓮の化身同様とされています。それを無理矢理に「大石寺代々の法主日蓮」と偽装するのは牽強付会というものです。ましてこの書の写本が保田妙本寺に伝わっている事実から考えれば、これをもってして大石寺法主の正統性の証明にするというのはあまりに無理があると言わざるを得ません。



思うに、大石寺の教義というのは他山の影響から色々と文献を引っ張ってきて、自山の権威を偽装してきたというのが偽らざる実態かと思います。