いつもみなさん、ありがとうございます。
前回は「相伝に有らざれば知り難し」というものでした。
「『相伝に有らざれば知り難し』って?」
今回ご紹介するのは、次の一文です。
「代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」
ところで、この文章が出てくるのは、どこの何という遺文でしょうか。
これは『御本尊七箇相承』の中の一文なのです。
前後を引用してみましょう。
(『御本尊七箇相承』富士宗学要集1-32ページ)
「戒壇本尊と『御本尊七箇相承』との相違。」
加えて、この『御本尊七箇相承』が伝わってきたとされる寺のことが問題になります。
『御本尊七箇相承』の写本で知られるものは、保田妙本寺の日山写本、そして日悦の写本です。『日蓮宗宗学全書』の興尊全集興門集で参考にしたのも保田妙本寺日山写本、日悦写本、堀慈淋(日亨)所蔵本とされます。(ちなみに宗学全書には『御本尊七箇之相承』として収録されています)
次に『御本尊七箇相承』の次の一文を見てみましょう。これは先の引用「代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」の少し前に書かれたところです。
「七 日蓮と御判を置き給ふ事如何(三世印判日蓮躰具)、師の曰はく首題も釈迦多宝も上行無辺行等も普賢文殊等も舎利弗迦葉等も梵釈四天日月等も鬼子母神十羅刹女等も天照八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり、之に付いて受持法華本門の四部の衆も悉く聖人の化身と思ふ可きか。」
(同32ページ)
この『御本尊七箇相承』は題号の通り「一」から「七」にわたって7つの条項が記されています。上の引用はその7番目になります。
ところで、最初の引用である「代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」の部分は、7つの条項が終わった後に「一」と題して書かれた4つの追加条項のような形に書かれています。
『御本尊七箇相承』の7番目の条目にはきちんと「四部の衆」もまた「聖人の化身」と思うべきことが書かれています。「四部の衆」とは「在家出家の男女」のことで、出家者や法主だけに限ったことではありません。
つまり『御本尊七箇相承』では、法主だけでなくきちんと「四部の衆」すなわち在家信徒たちも日蓮の化身同様とされています。それを無理矢理に「大石寺代々の法主=日蓮」と偽装するのは牽強付会というものです。ましてこの書の写本が保田妙本寺に伝わっている事実から考えれば、これをもってして大石寺の法主の正統性の証明にするというのはあまりに無理があると言わざるを得ません。
思うに、大石寺の教義というのは他山の影響から色々と文献を引っ張ってきて、自山の権威を偽装してきたというのが偽らざる実態かと思います。