気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「仏滅後正像未弘之大本尊」とは。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
今回は大石寺法主書写の本尊の「讃文」について、書いてみたいと思います。
 
 
「讃文」とは本尊右下に多く書かれるもので、多くは「仏滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曽有大漫荼羅也」と書かれます。またこれは『御本尊七箇相承』でも言及され「仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」(富要1-32)とされています。すなわち大石寺相伝書によるなら「讃文」は略して書くことは「大僻見」「不相伝の至極」になるのです。

 
 
ところが、大石寺法主にはこの「仏滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曽有大曼荼羅」をこの通りに書かない人が存在します。すなわち法主自身が「大僻見」「不相伝」であることを認めてしまっているようなものです。
 
以下に挙げるのは大石寺51世日英書写本尊、そして66世細井日達書写の御守本尊です。画像をあげますが、どちらも「仏滅後正像未弘之大本尊也」と書かれています。

 
 
ちなみに日蓮や日興の書写本尊で、この「仏滅後正像未弘之大本尊也」と書かれたものは、一つも存在しません。一体も存在しないのです。
この時点で、大石寺日蓮や日興の通りにも本尊書写をしない、また相伝書等、寺内の史的文書も大事にしない宗派であることがわかります。
加えてこの両者の本尊には「大本尊」と書かれていますが、日蓮書写本尊の中で「大本尊」と書かれたものは、保田妙本寺蔵の万年救護本尊しか存在しません。
なぜ大石寺法主が、わざわざ他山の「大本尊」と書かれた例を参考にするかのように讃文に書いたのか、非常に不可解な印象を抱きます。
ちなみに大石寺戒壇本尊もまた讃文は『七箇相承』と異なっていまして、戒壇本尊には「仏滅後二千二百二十余年之間一閻浮提之内未曽有大漫荼羅也」と書かれています。「仏滅度後」が「仏滅後」と違っており、また「二千二百三十余年」が「二千二百二十余年」となっています。