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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

戒壇本尊の相貌について





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて大石寺戒壇本尊の相貌について、それが具体的に日興の御座替本尊の相貌と全く違うこと、また『御本尊七箇相承』の指示とも相違することはこのブログで何度となく指摘してきました。


「弘安2年の戒壇本尊は日蓮の書写ではない」

「御座替本尊は戒壇本尊の書写ではない」

戒壇本尊と『御本尊七箇相承』との相違」


ところで、六老僧の一人で大石寺開山である日興は、厳格な人物として知られています。日蓮の遺文の書写を最も多く残しているのは日興ですし、その厳格な日興の姿勢は興門流以外の日蓮系寺院からも高く評価されています。


その日興が、そもそも戒壇本尊が日蓮在世中から存在したと仮定するなら、日興が根本本尊である戒壇本尊の通りに書写していないことは極めて不自然かと思います。
京都要法寺広蔵院日辰は日代の『五人所破抄』を書写する際の姿勢として「点画字勢に至るまで本の如く之を写す」(富要5-56)と述べているように、原本を忠実に書写しなければ本来興門流としては本当の書写とは言えないはずなんですね。


ところが、驚くべきことに、日興書写本尊にも大石寺歴代の書写本尊にも、戒壇本尊と同じ相貌を持ったものが一体も見当たりません。
誰も戒壇本尊の相貌の通りに書いてはおらず、その相違が甚だしいという一点のみから考えても、戒壇本尊が日蓮在世中には存在しなかったことを充分に示唆していると思います。


ところでそんな話をすると、大石寺の信徒さんは「お前は見たのか」と話をすり替えてきます。
もし私の語っている内容が違っていて、過誤や虚偽が含まれるのであれば、具体的に何が違うのかを指摘されればよいだけなのです。
それをご存知ないなら、そもそも戒壇本尊の相貌について、大石寺の方はさして重視していないということかと思いますので、そもそも論点が噛み合わないんですね。
つまり以下の諸点について具体的に訂正がなければ、事実上下記の記述が戒壇本尊の具体的な相貌と同じということになろうかと思います。


1、戒壇本尊には「有供養者過十号」「若悩乱者頭破七分」の両文が書かれていない。

2、通例右下に書かれる讃文は、戒壇本尊では「仏滅後二千二百二十余年」と書かれており、日興の御座替本尊の「仏滅度後二千二百三十余年」と相違する。

3、戒壇本尊には「天親菩薩」は書かれていない。

4、戒壇本尊には「八大龍王」ではなく「大龍王」と書かれている。

5、戒壇本尊には「章安大師」は書かれていない。

6、戒壇本尊には帝釈天が「釈提桓因大王」と書かれている。

他にも挙げることはできますが、戒壇本尊が以上のような相貌をしていることをブログでは指摘させて頂いています。
これらの記述が誤りであれば、具体的にどこが違うかをお示し頂ければいいのかと思うのですが、大石寺の信徒さんは全て論点をすり替えて「お前は見たのか」と子どものような議論に終始することが多く、そもそも議論にさえならないと思います。