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「御座替本尊は戒壇本尊の書写ではない」
「戒壇本尊の重さ」
さてこの戒壇本尊は、時期的にいつ頃偽作されたのでしょう。
個人的には大石寺9世日有の時代が最も可能性が高いと考えられます。
『百六箇抄』(偽書説濃厚)の末尾の加筆には「日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり」(創価学会版御書全集869ページ)と書かれ、同抄の同文が偽作・加筆された時点でなんらかの中心となる本尊が存在していたと考えるのが自然かと思います。
この『百六箇抄』末尾の加筆部を、日有門弟である左京日教が著作中で引用しています。日教はほぼ同文で「日興嫡々相承之漫荼羅以可為本堂之正本尊」と書いています(富士宗学要集4-43ページ)。
左京日教の『六人立義破立抄私記』は延徳元年(1489年)の著作であり、1489年というのは、大石寺9世日有が亡くなって(1482年)7年後のことです。大石寺は12世日鎮の代であり、日鎮はまだ当時若干20歳になります。
1489年の『六人立義破立抄私記』で書かれた「本堂の正本尊」が仮に「戒壇本尊」を指していると仮定すると、この発言が出てくるためにはそれ以前、すなわち9世日有の代に戒壇本尊が「偽作」されていないと筋が通らないことになります。
とすると、以下の仮説が考えられます。
追記
『百六箇抄』が偽作されたのは末尾の加筆に「日尊」等とあることから京都要法寺系とも考えられます。したがってここで述べている「本堂の正本尊」は元来、大石寺の本尊ではなく京都要法寺の根本本尊を指しているという推察も可能でしょう。