気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

実像をみること、過去の過ちを認めること。




いつもみなさん、ありがとうございます。



毎日楽しく生活しております。
ブログ記事も大したことは書けていないのですが、たくさんの方に見て頂いてありがたい限りです。



私が全く信じていないのは「功徳」と「罰」です。
とりわけ「罰」は全く信じません。
「気楽に語ろう☆創価非活☆ブログの愚か者は仏罰を受ける!」とまことしやかに語る御仁もおられるようですが、毎日平和に楽しく過ごしております。



宗教法人が他の宗教の信徒に対して「仏罰を受けるぞ」と脅すのは、単なる脅迫なのであって(笑)、そんな時代錯誤なことをやっている大石寺創価学会みたいな宗教団体が、現代において魅力のある宗教だと社会から果たして評価され得るのでしょうか。
私は決して評価されないと思います。



私は単に実像を求めていきたいだけなんですね。
例えば戸田城聖が起業家であって、大蔵商事や東洋物産等を作って収益をあげたのは紛れもない事実であって、それ故に戸田城聖氏は批判されるべきかと思います。


「大蔵商事のこと」

「東洋精光のこと」

「生活革新同盟倶楽部と創価光学レンズ製作所」



上記どれを読んでも、創価学会の組織を利用した起業戦略であって、金儲けと言われて批判されても仕方ないと思います。ただ戸田城聖氏は金儲けをすることを悪と思っていなかったのかもしれず、会員を通して収益をあげることが創価学会の生活革新の実証だと思っていたようにも個人的には感じます。



例えば戸田城聖は、日中戦争の真っ最中に帝国海軍を絶賛して興亜聖業を主張していましたので、彼は反戦平和主義者でも何でもありません。戦後の戸田城聖氏や池田大作氏があたかも戦時中の創価教育学会が反戦平和主義の団体だったように語っているとすれば、それは単なる歴史修正主義であり、事実の歪曲に過ぎないと考えます。


戸田城聖氏の帝国海軍への賛辞」



作られた神話など私には必要ありません。
私は歴史的な事実を知りたいだけで、その事実を隠したり誤魔化そうとする教団や信徒を批判しているだけなのです。
そのことを追求して考えているだけで、なぜ「仏罰を受けるぞ」等、脅迫まがいの言葉で非難されなければならないのか、私にはさっぱりわかりません。



事実を誤魔化す人を私は評価しません。
また事実を隠したり誤魔化す教団も私は評価しません。
自身の過去の過ちを認める人、過去の過ちを認める教団こそ、私たちが真に評価すべきでしょう。
要するに「ごめんなさい。私たちは嘘をついていました」と正直に言えればよいだけなのです。それが正直に言えないというのなら、それは社会的に批判されるだけです。