気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

宗創分離後の創価学会と大石寺。




いつもみなさん、ありがとうございます。



日蓮正宗は昭和に入り、特に戦後、創価学会から教義的に強い侵食を受けます。
契機は「狸祭り事件」ですが、創価学会の強烈で強引な折伏布教の態度、また謗法厳戒の姿勢など、少しずつ大石寺教義そのものに揺さぶりをかけます。
表向きは大講堂等、寺院の寄進建立、登山会の開始等、戸田城聖時代から財政的に大石寺を助けていくわけなのですが、その反面、狸祭り事件に見られるように自分たちの言い分を大石寺側に飲ませるようになっていきます。



創価学会により変容してきた大石寺




そんなわけで、かつて三門に刻まれていたとされる「順逆ともに来たれ」という大石寺の本来の精神は失われ、謗法を徹底的に非難して退ける、原理主義的な側面が創価学会によって大石寺に植え付けられていきました。
徐々に大きくなる教義逸脱は、大石寺から見れば目に余る行動ともとれたわけで、だからこそ細井日達の時に第1次宗創紛争が起こり、その中で創価学会の教義逸脱を戒める、教義的な綱引きが起こるようになるのです。



そして第2次宗創紛争で、平成3年(1991年)に創価学会大石寺宗門から破門されます。
その結果、何が起こったか。創価学会は「創価ルネサンス」という看板を掲げ、徐々に日蓮的な臭みを消していきます。そして教義的に内実が何も残らない、奇妙な教団と化していきます。
一方、大石寺創価学会を破門したにもかかわらず、創価学会員の離間工作を行い、創価学会員を日蓮正宗の信仰に引き戻す逆布教活動を展開していきます。
大石寺創価学会を破門したのなら、何も創価学会などにこだわらず、堂々と一般社会に向けて宗教的メッセージを発信して、布教活動していけばよいだけのことですが、彼らは創価学会員の脱会者作りにこだわっていくようになるのです。



現在の日蓮正宗大石寺の活動家の多くが「元創価学会員」のメンバーであり、教義的にかつての大石寺ではなく、昭和期・宗創和合時代の創価学会員の信仰態度を持っています。
彼らはそれが伝統的な大石寺信仰だと勝手に勘違いしていますが、それらは戸田城聖時代から大石寺を揺さぶり続けてきた創価学会原理主義的な態度だったわけです。新参の法華講たちはかつての歴史を知らず、自分たちの態度が「本来の大石寺の精神だ」と勝手に思い込んでしまっているのです。富士宮市周辺には昔からの旧信徒組織、伝統講も残っていますが、彼らは本尊の奉安様式も違いますし、神社にもきちんと参拝します。伝統講の方々は現在活動している新参の法華講信徒を醒めた目で見るようになっているのです。



問題の根は、そのような創価学会あがりの新参法華講妙観講信徒さんたちがかつての創価学会そっくりな布教活動を展開し、さらには創価学会の離間工作ばかりをする態度を、大石寺宗門が黙認しているということです。
まあ総本山側からすれば、信徒が増えれば良い、布教が進めばよい、ということなのかもしれませんが、何もそんなにかつての創価学会にこだわらなくても良いのではないでしょうか。ちなみに今の創価学会は完全に大石寺教学を失ってしまっていまして、今さら関係を戻したところで、登山会などもう行われないと思います。だいたい創価班が激減している状態で、昔のように無理矢理創価班を着任させて登山の輸送をさせるということがもはや創価学会は不可能になっている筈です。



宗創紛争、創価学会破門からすでに30年が経ちます。
創価学会は、大石寺教学から離れて、日蓮教学からも脱却したはずなのに大石寺歴代である日寛書写本尊を拝む、自己矛盾の宗教法人になりました。
一方、大石寺は破門した筈の創価学会のことを忘れられないのか、創価学会の批判に明け暮れ、創価学会の脱会者作りばかりで、一般の方への布教がほとんどできなくなり、信仰態度としては、かつての創価学会そっくりの信徒組織を持つようになりました。



大石寺伝統講、旧檀信徒さんについて」


「昭和期の創価学会の影響下の大石寺