気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

創価学会・大石寺系教団の分派の歴史。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて今回は創価学会等の大石寺系教団の分裂の歴史、合従連衡や分派の存在などを紹介してみたいと思います。


創価学会の活動家に聞くと「創価学会は分裂などしない」などと多くが言い張られます。確かに一致団結して選挙に臨む姿など創価学会は選挙戦で一丸になった強さを感じさせますね。
でも、創価学会大石寺系教団が過去、さまざまな分派を呼び、さまざまな大石寺系教団グループを生み出してきたことは少しでも調べればわかることです。
今日はいろいろ紹介してみましょう。
以下は私が知っていること、調べたことを中心にまとめてみたので、細かい部分で違うことがあるやもしれません。その際はメールかTwitterアカウントにお知らせ頂けたらと思います。




1、顕徳会

昭和35年(1960年)5月3日、池田大作氏は創価学会の会長に就任しますが、その2日後の5月5日、男子部第1部隊の元隊長で蒲田支部幹事であった佐倉雅章、大野兼弘が創価学会信徒30名ほどを引き連れて「顕徳会」という分派を作ります。佐倉は昭和32年の大阪参議院補選(いわゆる「大阪事件」)で有罪判決を受け、2ヶ月の未決勾留入りするまで創価学会に尽くしたのですが、他の40名のメンバーと共に創価学会を除名されます。彼はその中でも復帰を許されたメンバーでしたが、池田大作氏の会長就任を「汚い」として創価学会を見限ったと言われています。
その後、池田大作辻武寿、牛田寛、龍年光らを佐倉雅章のところに行かせて説得工作を試みますが、結局折れずに、佐倉は除名。その後、池田は日蓮正宗妙真寺と連携して彼らを破門。御本尊下附等の一切をできなくさせ、分派活動を圧殺したと言われています。



2、顕正会(旧・妙信講)

元々は昭和17年(1942年)4月、東京都品川の日蓮正宗妙光寺の総代・浅井甚兵衛(現在の顕正会会長・浅井昭衛の父にあたる)が、法華講中の講として「妙信講」を結成したことに始まります。
その後、創価学会が昭和40年代に寄進建立することになった「正本堂」の教義上の意義づけを巡って大石寺、特に創価学会と対立するようになります。
正本堂完工式を前に、細井日達の面前で創価学会代表と妙信講代表とが教義上の論争を行い、一度合意に至りますが、「国立戒壇」に固執する妙信講は再び日蓮正宗創価学会と対立を深めることになります。
昭和49年(1974年)8月12日、大石寺66世細井日達から講中解散処分を受けますが納得せず、同年10月4日に妙信講の青年部約70名が信濃町創価学会本部敷地内に乱入し、牙城会メンバーと乱闘になります。この時、創価学会本部の門に宣伝カーをぶつけて、乱入したのですが、四谷署の機動隊員100名が出動する騒ぎとなりました。これを受けて11月4日、浅井甚兵衛、浅井昭衛ら代表幹部ら33名が日蓮正宗から信徒除名となります。
その後、第2代講頭を継いだ浅井昭衛が顕正会に名称を変更します。
現在でも顕正会は活動を続けておりまして、強引な勧誘、過激な布教方法等が当局から度々問題視されています。



3、正信会

昭和52年(1977年)、創価学会池田大作会長が在家中心主義にもとられる仏教解釈を行い(いわゆる52年路線)、これを大石寺細井日達が批判しました。この時「正信覚醒運動」が起こり、活動家僧侶たちが池田大作創価学会批判に走りました。この時に退会した創価学会信徒たちを活動家僧侶が法華講として組織していくことになります。
その後、池田大作が会長を辞任し、細井日達が事態の収束を宣言したにも関わらず、活動家僧侶たちは創価学会批判を続けることになります。
昭和54年(1979年)7月22日に細井日達が急逝。血脈相承を受けたと自己申告した阿部日顕が登座しますが、創価学会との融和に動いた阿部日顕宗務院と対立して「正信覚醒運動」の活動家たちは、血脈相承の有無を問い出し、宗内対立が深刻化。昭和55年(1980年)に「正信会」を結成し、宗務院の中止勧告を無視して檀徒大会を開催し、宗務院は正信会系僧侶たちの処分に踏み切ります。
やがて正信会は大きく分裂し、開山日興への回帰を主張する「宗教法人正信会」、顕正会との共闘を主張する「冨士大石寺正信会」、中間派としての「日蓮正宗正信会」等、複数のグループに分かれることになります。なおここから派生した「興風談所」は日蓮真蹟翻刻の専門知識を有し、研究誌『興風』を発刊。日蓮・日興遺文研究グループとして他門流からも高く評価されています。




大石寺法華講の中でも最も過激なグループと言われています。妙観講大石寺理境坊所属の法華講組織の一つで、67世の阿部日顕直属と言われる信徒グループです。現在の本部は東京都杉並区西荻北にありますが、これは阿部日顕によって妙観講の本部として指南されたことによります。
法華講の中でも教義的に原理主義集団に近く、特に顕正会創価学会を敵視して積極的に論争をしたり家庭訪問をしたりするグループです。平成29年(2017年)には客殿前広場で講員総数10万人を達成した記念総会を、早瀬日如の臨席の下、開催しています。
なお現在の講員数は14万人とされ、大石寺法華講連合会では最大のグループとなります。



5、蘇生講

創価学会を退会した元副会長の福島源次郎を中心とし、退会者の一部とともに1992年3月に結成された法華講組織の一つです。大石寺南之坊所属ですが、南之坊には古くからの法華講南之坊支部が蘇生講とは別に存在します。
福島源次郎氏は青年部長、副会長などを歴任し、池田大作の次代の後継候補とまで言われた人物ですが、池田大作の教義が次第に宇宙や生命といったウパニシャッド思想に傾斜していくのを最初に具体的に論及して批判した人物です。その後は蘇生講を結成し、本来の大石寺教義を模索していたようです。



6、万年講(松本修明・保田妙本寺グループ)

松本修明(本名:松本勝彌)氏は東海大学在学中に創価学会に入信。その後、創価学会の本部職員になり(民音企画部と言われています)、創価学会理事に就任します。その後、彼は大石寺戒壇本尊が偽物であり、日蓮の出世の本懐は保田妙本寺の万年救護の大本尊であると主張し、昭和47年(1972年)に正本堂供養金返還訴訟を起こします。これがきっかけで松本勝彌氏は創価学会から除名、日蓮正宗からも破門されることとなります。
松本勝彌氏を支持するグループが、昭和45年頃に起こった「言論出版妨害事件」により創価学会を退会したグループと合流することになり、これが「創価学会対策連盟」(創対連)となります。また松本勝彌氏は保田妙本寺の檀家で大石寺に批判的な信徒たちを糾合し、「万年講」という講を立ち上げます。
このように保田妙本寺の万年救護本尊が真実であるとする信徒グループは度々現れていますが、その先駆的存在が松本勝彌氏でした。創価学会山崎正友を使って妙本寺に圧力をかけ続けました。
その後、松本勝彌氏は保田妙本寺から離れ、西山本門寺系で得度。出家した現在は「松本修明」と名前を変えています。なお保田妙本寺日蓮正宗の傘下でしたが、現在は再び単立寺院に戻っています。



7、その後の保田妙本寺グループ

2015年頃、日蓮正宗改革同盟の僧侶の宮川雄法(現在の名は宮川日護)が、保田妙本寺に接近します。彼は2015年10月18日、セルビアSGIの代表だった片野勝・片野典子夫妻を保田妙本寺に招いて参詣を許可します。この時、セルビアSGIグループと宮川雄法を結びつけた人物が金原明彦、波田地克利と言われています。セルビアSGIは一時期内紛となり、本尊下附が停止される事態にまで発展しました。
2016年に能化となり「日護」と名を変えた宮川氏はセルビアに渡り、保田妙本寺の御本尊を授与したとされます。



8、波田地克利グループ

波田地克利氏は平成の第2次宗創紛争の際、対宗門対策で名を挙げた人物です。とりわけ妙観講対策では、彼の作った資料を元に創価学会の広宣部が妙観講と論戦を繰り広げていました。平成3年(1991年)4月に創価学会学生部だった波田克利氏は金褒賞まで受賞しています。
その後、大石寺教学からの脱却を主張した彼は、金原明彦氏と協力して戒壇本尊を偽物と断定。その後、大石寺26世日寛の五重相対を拡大解釈、池田大作とその弟子を加えた「八重相対」を唱えたり、池田大作を「現代の転輪聖王」と定義したりする独自の教説を唱えるようになります。当然このような教義の拡大解釈は、創価学会本体の考える教義改正よりもかなり過激で駆け足なものだったため、平成25年(2013年)12月29日に創価学会を除名になります。なお彼の「八重相対」を幹部指導で話していた当時の最高幹部こそ正木正明氏であり、彼が理事長を実質的に解任された遠因は波田地克利氏の教学の影響下にあったことが言えるのかもしれません。事実「八重相対」「池田=転輪聖王説」は当時2000年代の広宣部の学習会でも創価班メンバーによって学ばれていましたが、その後、あっという間に広宣部の活動は停止されます。
波田地克利はその後、林信男、金原明彦、一部メンバーと「自活グループ」を結成。You Tube チャンネルも開設しました。現在、波田地グループは分裂しているようです。





……とまあ、大まかなものだけ書いてみましたが、実は他にも山ほどありまして(もう書ききれない!・笑)、例えばスロヴァキアSGI分派、宿坊の掲示板グループ、創価学会元職員3人組、富士門流掲示板系など……枚挙に暇がありません。


スロヴァキアSGIは本尊下附が停止されてしまい、一時期「第2のセルビア」と言われるほど内部分裂が進んでしまいました。今は表面上沈静化したようですが、創価学会公式HPで創価学会各国WEBサイトの欧州の項を見るとスロヴァキアは存在していません。
また上述の正信会など分裂した後は、主要グループの中でも個々に散り散りになってしまっています。
創価学会内部でも例えばれいわ新選組から出馬した野原善正氏のように公明党を批判する会員の有志グループが複数存在するようです。
また信濃町本部でも主流派と非主流派が存在し、原田会長を中心とする東京大学閥と別に、それに対抗するようなグループも存在しています。


最近、気になることなのですが、信濃町からの出向幹部たちの多くが池田大作の病状を自由に語ったり、執行部の批判をしたりするなど、中央の統制が弱まり、自由に語り出す人が増えている印象を受けます。