いつもみなさん、ありがとうございます。
ブログの趣旨から少し離れるので、親鸞や念仏思想のことをここで書くのは少し自粛しているところですが、またまとまったら何か書きたいとは思っています。
さて、そんな私ですが、Twitterアカウントで最近やたら原理主義的な創価学会信徒に絡まれることが多いです。以前は偏狭な大石寺法華講が多かったのですが、今回の信徒たちも負けず劣らずというか……さらに酷く、まともな議論もできず、単に罵声を浴びせて「お前は嘘つきだ」とか言うだけです。しかも彼らの殆どが客観的な史料も提示できません。
個人的にはもう創価学会は辞めているので、絡まないでほしいんですね。私もそんな人たちに絡むことはしていません。事実、退会してからは信徒の家庭訪問が全くなくなり、心穏やかな日々を送っておりました。そんな最中に、まさかのTwitterでやたら絡んで非難中傷をしてくる人がいるんですね。
創価学会は確かに「悪を責める」ということを宗教活動の一環としてやってきた教団です。その発想が私には吐気のするような醜悪なものなのですが、それはまあさておいて、果たして創価学会は何を「責めるべき悪」「責めるべき一凶」として定義しているのでしょう。私のような退会者を責めろとでもしているのでしょうか。
そこで2018年4月号の『大白蓮華』「任用試験特集号」から「悪と戦う」という項目を挙げてみましょう。
「日蓮大聖人の仏法では「悪を責める」「悪と戦う」信心を強調されています。
どんなに大善をつくって、仏法の修行を重ねても、「法華経の敵」を責めなければ成仏は叶わないと仰せです。(中略)そして現代であれば、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を現実に展開している創価学会を破壊しようと企てた日顕が「法華経の敵」にあたります。」
(『大白蓮華』2018年4月号「任用試験特集号」111〜112ページ)
もしもネットで創価学会のことを批判的に書いているブログ読者や退会者も「法華経の敵」とするなら、任用試験でそのことを指摘し、全国的に大々的な批判キャンペーンを展開するのが正しいでしょう。しかしながら創価学会が公式に「法華経の敵」と定めたのは阿部日顕以降の大石寺宗門であり、それ以外を別にここで述べてはいません。当該ページの画像も載せましたので、略記した部分も含めて読んでいただければと思います。どこにも「退会者が極悪」とか「ブログ批判者が法華経の敵」とは書いていません。創価学会が公式に「法華経の敵」と定めたのは阿部日顕以降の大石寺宗門だけです。
それならば、Twitterアカウントの創価学会信徒の方々は、何も私など責めずに、大石寺宗門や法華講アカウントを「法華経の敵」として責めるべきなのではありませんか? 創価学会が公式に「創価学会を批判するブログ」や「それらのTwitterアカウント」までも「法華経の敵」と定めた文言がどこかにあるのでしょうか?