いつもみなさん、ありがとうございます。
さて以前にブログで書いたことですが、「福運」という言葉は、日蓮が遺文中で書かれたことが一度もない用例です。
「福運について」
現場ではよく使われる表現でして、「最近、福運のある顔をしてますね!」とか「戦って福運を積みましょう!」とか、創価学会の指導でもよく使われたものです。
ところがどっこい、肝心の日蓮が使っていないというわけです。
驚いたものです。
恐らくは創価学会の戦後の布教の現場で次第に会の教学として自然に使われるようになっていったのかと思いますが、御書に基づいた語ではなかったんですね。
そしたら以下の通りなんですね。
他の項目を見ればわかるように、『御書辞典』ではその語が「御書の何ページか」「何の経典の何ページか」「何の仏教書か」という凡例に基づいてきちんと由来が記載されます。
それなのにこの「福運」だけページ数も出典も全く示されていないのです。
つまりこれは日蓮の御書には「福運」という言葉がやはり用いられていないということ、そしてその由来についてもよくわかっていないということを示唆しているように思えてなりません。