いつもみなさん、ありがとうございます。
実は、この『御義口伝』の末尾、大きく改竄・削除されていることを知ったら、皆さんは驚かれるでしょうか。
では以下に平楽寺版『昭和新修日蓮聖人遺文全集』から、『御義口伝』末尾のページ画像をあげてみます。創価学会版御書全集の『御義口伝』は「法とは上行所伝の題目なり」で終わっていますが、実は本文はまだ続きがあります。この残り全ての部分が創価学会版御書全集では削除されています。ご自身の目で確認ください。
ここには「六老僧の所望に依て老後たりと雖も、日蓮が本意の一端、講談せしめ畢んぬ」と書かれています。
『御義口伝』は後世の偽作で間違いないと思いますが、もし仮にこれが真蹟と仮定するなら、この『御義口伝』は、実は日興にのみ説かれたのではなく「六老僧の所望によって」説かれたものということになります。
しかも、創価学会版では削除されている『御義口伝』末尾には「委くは注法華経を見らる可きなり」と書かれており、「広宣流布の要法豈に此の注法華経に過ぎんや」とまで書かれています。つまり六老僧の中では最重要の書物は『注法華経』であったということです。
そして最後には「執筆 日興」と書かれていますが、きちんと「六老僧 花押」と付されています。
少し前のブログ記事で日興の『宗祖御遷化時 次第』を紹介しましたが、これによれば六老僧の選定は弘安5年です。弘安元年とされる御義口伝に「六老僧」が出てくる時点で既に矛盾なのですが、創価学会版はそれを削除してわからなくしているのです。