いつもみなさん、ありがとうございます。
経文ではなく宗祖の言葉、妙判を唱えるということは、開宗の原点を忘れないという意味で重要なことのように思います。
ところで、私は元創価学会の活動家、また大石寺の法華講元信徒でしたから、詳しくは知らないのですが、身延山日蓮宗では朝晩の勤行に法華経方便品、如来寿量品、如来神力品の三品に加えて日蓮の妙判を音読することが知られています。
考えれば考えるほど不思議です。
考えてみれば不思議なことですが、意外とこういうところに大石寺系教団の教義のいい加減さが現れているのかもしれませんね。