いつもみなさん、ありがとうございます。
さて
大石寺系教団では釈迦本仏説をとらず、
日蓮本仏説を採用しています。
日蓮は自分自身が「本仏」であると言う自覚を遺文で述べたことはなく、
大石寺系教義の
日蓮本仏説は後世に創作された後付け教学に過ぎないと私は考えています。
「釈迦一仏にかぎりたてまつる」
今回加えて述べてみたいのは、
日蓮の『一代五時鶏図』の記述における「主師親」の三徳観です。
『一代五時鶏図』『釈迦一代五時継図』『一代五時図』等、複数の図示された
日蓮の遺文が存在しますが、これらは
日蓮自身が門下たちに天台の教判等を講義し、教導するために書かれたものと考えられています。
「『一代五時図』のこと」
このうち、
西山本門寺に現存する『一代五時鶏図』では釈迦に「主」「師」「親」の三徳が配置され、きちんと図示されています。画像で確認いただければと思います(
創価学会版御書全集628〜629ページ)。
なおここに挙げた『一代五時鶏図』の系年ですが、『昭和定本
日蓮聖人遺文』では建治元年(1275年)とされています。また『
日蓮大聖人御真蹟対照録』では文永9年〜10年(1272〜1273年)とされています。いずれにせよ、同遺文は文永後期、
佐渡以降の述作ということになります。
もしも
佐渡以降、
日蓮自身に本仏の自覚があったとするなら、門弟への講義に際して「釈迦」の「三徳」を図示して書いて遺すものでしょうか。また仮に
日蓮自身に本仏の自覚があったとするなら、なぜ釈迦の三徳ばかりが説かれて「
日蓮」本人の「三徳」が図示されていないのでしょう。
また門弟の日興も
末法における本師は釈迦
如来と考えています。日興もまた
日蓮に本仏の三徳が具備される等の考えを述べたことはありません。
「久成釈迦仏と付属の弟子」
ここから考えても、
日蓮の考える
末法における本仏はあくまで久成釈迦仏なのであって、それは遺された遺文にきちんと記録されています。
追記
当記事で引用した『一代五時鶏図』ですが、『
創価学会版御書全集』のものと『昭和定本
日蓮聖人遺文』収録のものとで、線の引き方、区切り等、かなり異なっています。以下に図を載せてみます。