気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

本尊認定の権利が教団にあるなら。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて創価学会は、2014年に教義会則を改正して、大石寺蔵の弘安2年戒壇本尊を「受持の対象」から外しました(聖教新聞、2014年11月8日付)。




宗創紛争後、創価学会大石寺宗門から破門されますが、原田稔会長は「創価学会が仏意仏勅の教団であるという自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定する」と述べています。
つまり現在の創価学会の公式見解は、創価学会自体に御本尊を認定する権利があるのであって、根本本尊を大石寺のものとすることを止めるということになります。



私は教団がどの本尊を信じようと自由であるべきだと考えます。
しかしながら、創価学会は自分たちに本尊を認定する権利があると主張しつつも、なぜか各家庭で拝んでいる本尊は、大石寺26世日寛書写本尊です。そして根本本尊として「広宣流布大誓堂」に安置されているのは大石寺64世水谷日昇書写本尊の模刻です。
創価学会が本尊を認定する」と述べているのに、なぜか現実には大石寺の歴代法主が書写した本尊を拝んでいるという矛盾が存在します。



「歴代法主の中でも創価学会は日寛も日昇も評価するに値する」ということなのかもしれません。しかし「大石寺法主」が書写した曼荼羅ということは、それは教義的には「大石寺戒壇本尊の写し」という教義に立った人の書写本尊となり、創価学会側はそれらを「拝むべき本尊」として「認定」してしまったことになります。



それならいっそのこと、創価学会池田大作氏の存命の間に池田名誉会長に本尊を書いてもらえばよいのではないのでしょうか。
先日の本部幹部会では、子息の池田博正氏が池田大作氏の書を紹介していました。本部幹部会に池田氏が姿を見せずとも、まだ書を書く力があるのなら、自ら筆をとっていただいて「南無妙法蓮華経 日蓮」と書いてしまえばよいだけのことです。
創価学会が「仏意仏勅の団体」であり、その「永遠の指導者」が「池田大作」とするなら、本尊書写をするのに最も相応しい人物は、現時点で池田大作氏を措いて他に誰もいないでしょう。
教義の裁定権は創価学会は「会長」にありますが、「永遠の指導者」として会が認めているのは牧口常三郎戸田城聖池田大作の3人のみです。池田氏が自らの手で本尊を書写し、それを原田稔会長と最高指導会議が本尊として「認定」すればよいだけのことです。



大石寺の矛盾だらけの教義から脱却したいところなのかと思いますが、それならそれで創価学会側も筋を通せばよいでしょう。
仏意仏勅の団体が世に出たことが法華経の予言を証明する出来事だったのだと言いたいなら、何も大石寺側から下げ渡された法主の本尊など拝まずに、自分たちで本尊を作るべきだと思います。
そういうことを誤魔化しているから、内外から教義上の矛盾を批判されていることを信濃町創価学会幹部はもう少し自覚した方がよいと思います。