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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

本尊書写の権能は法主一人に限られてはいなかった。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、大石寺は御本尊書写の権能を法主一人に限るとしています。
例えば大石寺内事部発行の『創価学会ニセ本尊破折百問百答』には次のように書かれています。



「御本尊書写の権能は、唯授一人の血脈相承を受けられた御法主上人お一人に限られるというのが、日蓮大聖人の教えです。『本因妙抄』に『血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり』と仰せられています。また、第五十六世日応上人は『金口嫡々相承を受けざれば決して本尊の書写をなすこと能はず』(弁惑観心抄212頁)と仰せです。したがって宗門七百年の歴史において、御法主上人以外の僧侶が、たとえ高徳、博学、能筆の方であろうとも、御本尊を書写したということはありません。ただし御隠尊猊下が御当代上人の委託を受けて、御本尊を書写されることはあります。」
(前掲書134ページ)


ということは、大石寺にあっては血脈相承を受けた法主のみが御本尊書写をすることができるのであって、それ以外の者はたとえ高徳・博学の僧であっても御本尊書写は「書写したということはない」のだそうです。



ところで、大石寺第2祖日興の弟子に、寂日房日華(にっけ)という人がいます。この方は日目とともに日興本六の弟子の一人で、大石寺塔中・寂日坊の開基、また下条妙蓮寺(日蓮正宗大本山)を創建した人物でもあります。
この日華が書写した本尊が下条妙蓮寺に現存しています。以下に画像を載せてみます。

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この本尊ですが、書写の日付を見ると正中2年(1325年)6月3日となっています。
日興と日目の没年はともに1333年であり、日興・日目在世中の書写本尊になります。
つまり日華は、先代の法主である日興からも日目からも大石寺の血脈相承を受けていないのに、本尊書写を行っていたことになります(日華が大石寺法主になったことはありません)。そしてこのことに関して、日蓮正宗の現・総本山の大石寺が、同じ宗内の大本山である下条妙蓮寺、また寂日坊日華を公式に批判したことはありません。



つまり現在の大石寺が言っている「御本尊書写の権能は唯授一人の血脈相承を受けた法主一人に限られる」という教義は、後世に作られた後付け教義でしかなく、日興・日目在世中にはそのような教義は存在しなかったということです。したがって最初に引用した「宗門七百年の歴史において、御法主上人以外の僧侶が、たとえ高徳、博学、能筆の方であろうとも、御本尊を書写したということはありません」という大石寺内事部の発言は、史実とは異なるということになります。


追記
平成9年(1997年)、大石寺の教師講習会において、大石寺67世の阿部日顕氏は「化導の全体を御本尊書写の上より見れば、本筋の唯授一人血脈相承がまず厳として存在する。そこから必要に応じて、ある時期においては『方便』としての許可が現れた」(『創価学会の偽造本尊義を破す』日蓮正宗宗務院、24ページ、1997年)と述べていまして、時の法主の許可によって末寺住職の本尊書写が行われたことを認めて、内事部発行・日蓮正宗法義研鑽委員会の『ニセ本尊百問百答』の見解を事実上白紙撤回しています。
その時その時で言っていることがコロコロ変わるなら、大石寺七百年の「富士の清流」と自称する血脈相承の正統性を疑われても仕方ないと思います。


参考文献
『御本尊集 奉蔵於奥法寶』覆刻版、日目上人奉賛会、2000年
柳澤宏道『石山本尊の研究』増補版、はちす文庫、2013年(初版1997年)