いつもみなさん、ありがとうございます。
さて本日のテーマは創価学会の「学会歌」についてです。
私は非活から既に退会をしてしまったので、現在の状況を知りませんが、かつて創価学会の会合に「学会歌」はつきものでした。
会合終了後に軍歌調の歌を青年部の「指揮」で歌うのですが、青年部の代表は壇上で扇子を振ったり、拳を振ったりして指揮をし、皆で手拍子を打ちながら歌うんですね。
なぜこんなことをするのでしょう。
ですから、当時の創価教育学会にあっては会の最後に軍歌を歌うことは、至って自然なことだったのです。
以前はこの辺のことがあまり知られていなかったのですが、ネットや動画で情報が多く拡散され、今や多くの方の知るところとなっています。
例えば広く創価学会信徒に知られている「威風堂々の歌」は、軍歌「愛馬とともに」の曲調とほぼ同じです。創価学会側は「作曲者不詳」としていますが、メロディそのものはほとんど同じです。動画検索すればすぐに出てきますので、ぜひご自身の耳で確認して頂ければと思います。
今はほとんど歌われませんが、戸田城聖作詞とされる「同志の歌」は、原曲は三高寮歌「行春哀歌」です。この歌は悲愴な旋律で「味方は少なし敵多し」と決意を述べるものです。小説『人間革命』でも出てきますね。
昔、歌われていた「日本男児の歌」は同名の完全な軍歌です(「学会健児の歌」としても知られていました)。この歌詞を少しだけ変えて最後に「これ学会の大精神」として歌っていました。そもそも1番の最後の歌詞が「散るべき時に潔く散り、御国に薫れ、桜花」ですから、まさに戦争に向かう当時の歌という感じがします。
また「嗚呼黎明は近づけり」は昔、よく歌われていましたが、この歌は旧制大阪高等学校(現・大阪大学の前身)の代表寮歌で、この曲を学会歌として歌っていました。これを歌うようになるのは昭和40年頃だったかと思います。
また「桜花爛漫の歌」も元々は学生歌で、これは旧制大阪商科大学(大阪市立大学の前身)予科の学生歌でした。創価学会はこの曲の1番、2番、4番を取り出して「学会歌」として歌うようになります。やはりこの歌も昭和40年代のことです。
創価学会の会合、とりわけ本部幹部会等では「創価学会、バンザーイ!」と万歳三唱をすることがあります。これもかつての牧口常三郎時代の創価教育学会が会合終了時に戦勝祈願で万歳三唱をしていた頃の名残なんですね。
それを隠そうとしたり、誤魔化そうとしたり、論点を逸らそうとするから、多くの会員信徒の失望を招くのかと思います。