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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日興書写本尊に「奉書写之」は書かれていない。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて日蓮正宗大石寺では、法主が御本尊書写の際、「奉書写之」と書いていることがあります。
日蓮正宗の現在の教義に則って述べれば、これは「弘安2年造立説の戒壇本尊を書写し奉った」ということになります。大石寺では「奉書写之」の「之」をイコール「戒壇本尊」だと解釈する訳です。



ところで『日興上人御本尊集』(興風談所、平成8年)に載る日興の書写本尊を一枚一枚全て見ていったのですが、日興書写本尊には「奉書写之」と書かれた本尊はなんと一体もありません。日興が本尊に「奉書写之」と書いたことは一度もないのです。


日興が日蓮真蹟曼荼羅をその通りに写して書いたことは相貌を見てわかりますが、「書写之」「写之」と書いてあるのみで、「奉書写之」と「奉」の字を本尊に書いて残したことはありません。中には「書写之」や「写之」が全く書かれないこともあります。



具体的に見てみましょう。
例えば大石寺客殿蔵の「譲座本尊」(別名「御座替本尊」、正応3年10月13日)は日興から日目に授与されたもので、日蓮正宗の信徒は戒壇本尊を写したものだと思われている方も多いようですが、相貌が全く違う上に「奉書写之」とは全く書かれていません。日興にあっては「書写之」の文字は殆どが曼荼羅左下に書かれますが、「譲座本尊」には「日目授与之」と書いてあっても「奉書写之」の字はどこにも存在しません。例外的にこの本尊では右下に「写之」との記載されています。

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また同じく大石寺蔵の日乗授与本尊(永仁4年4月8日)でも、日興の花押左に「書写之」という文字は存在しますが、「奉書写之」とは書かれていません。この本尊もまた上述の御座替本尊もどちらも大石寺に現存する日興書写本尊です。

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したがって現在の大石寺が主張する「奉書写之の記載は戒壇本尊を写したという意義である」という教義は、日興存命の頃には存在せず、日興の代には戒壇本尊が存在しなかったということになります。




以下、参考として

「奉書写之の4文字」

「御座替本尊は戒壇本尊の書写ではない」

「日興の譲座本尊の相貌」