気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

御座替本尊に書かれて、戒壇本尊に書かれない天親菩薩。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は、本尊の相貌で、「天親菩薩」の扱いについてです。
実はこの「天親菩薩」は大石寺所伝、日興書写本尊の「御座替本尊」には書かれています。

「天親菩薩」とは世親(ヴァスバンドゥ、梵:Vasubandhu、300〜400年頃)のことです。世親は唯識派最大の人物ですから、唯識思想を教義に用いるなら、やはり取り上げられるべき人物でしょう。
ところが、この「御座替本尊」に書かれている「天親菩薩」、戒壇本尊には全く書かれていないのです。

大石寺が日興から日目に引き継がれた相承の証と称する「御座替本尊」(譲座本尊)では、戒壇本尊に書かれていないものが書かれているのです。
つまり日興は日目に与えた御座替本尊を書いた時、戒壇本尊は存在しなかったことになります。もし唯一無二の戒壇本尊が存在したのなら、日興が大石寺の譲座をするのに戒壇本尊を書写するのではないのでしょうか。
 
気になって調べてみたのですが、日蓮の真筆本尊で「天親菩薩」が書かれた例はあまりありません。123体の日蓮真蹟曼荼羅を眺めてみたのですが、「天親菩薩」が書かれているのを確認できたのは以下の3体のみでした。
 
No.13、文永11年7月25日、茂原藻原寺蔵

No.53、弘安元年8月日、日頂授与本尊、清水市海長寺蔵

No.54、弘安元年8月日、京都本能寺蔵

 
つまり日興が大石寺、日目に相伝した本尊を書くのに参考にしたのが「戒壇本尊」ではなかったことになります。
推察するに、日興は多くの日蓮の本尊書写の書法を知悉しており、それらを参考にしながら独自に御座替本尊を書き、それを日目に相伝したことになります。その時に戒壇本尊は参考にしていないのです。そもそも『御本尊七箇相承』には「見へ給ひつる処の本尊の御形なりしをば能く能く似せ奉るなり」と書かれています。『七箇相承』がもし仮に真蹟と仮定するなら「能く能く似せ」て書かなければならない筈です。