気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

証言から見る、池田大作氏の会長時代からの代筆の実態。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて池田大作氏が自身の著作や対談、随筆等に関して「他の人に代筆させていた」実態については、以前から何度かこのブログでは書かせて頂きました。
 
 
池田大作の代筆の実態」
 
 
今回は昭和57年10月15日から行われた月刊『ペン』裁判での池田大作氏の証人としての発言記録から、池田大作氏が会長時代から著作については、「自身で書かずに部下に書かせていた」実態について、当時の発言記録から見ていきましょう。出典は、池田証言ハイライト出版委員会編『池田証言ハイライト -偽りだった謗法懺悔-』(継命新聞社、昭和59年)で、池田大作氏の発言は昭和57年10月20日のものです。今回は読者の方からの資料提供をもとに記事を書かせて頂きました。ありがとうございました。

法廷で山崎正友側の弁護人から「教学と私、第一巻というものについては書いたかどうか」と聞かれて、池田大作氏は何と「はっきりしない。たまに書かす場合もあります」と答えています。そもそも自分が書いたのなら著作の名を聞いた時に「書いた」のか「書いていない」のか、即座にわかるはずです。それを氏は「はっきりしない」と述べています。
更に驚かされるのは続く質問への回答です。弁護人は「編集に際して、送り仮名、句読点など若干の文章の検閲がなされた、こう書いてありますから、証人【池田大作】がみんな訂正されたことになっている」と言いますが、池田大作氏はそれに対して「それは違う、できるわけない。だから八矢君【八矢洋一】かもしれません」と答えています。池田大作氏の言う通りとするなら、池田大作著というのは嘘、訂正をしたのも嘘、句読点や送り仮名の直しさえ池田大作はしていないことを自らが認めたことになります。
弁護人が「じゃ書物に権威をつけるために、格好つけた?」と聞くと、池田大作氏はそれを否定せず「そうでしょう。会内的な本ですから」と答えています。「会内的な本」なら信徒には代筆の実態は周知せず、池田大作著と偽ってよいと池田大作氏は考えているのでしょう。私はこの発言について信徒に対して誠意に欠ける発言に感じられてなりません。
 
 
私は代筆自体が問題とは思いません。最大の問題は池田大作氏本人が著作のどこからどこまでが代筆なのか、その実態を明らかにせずに誤魔化していることだと思います。
ともあれ、上記の裁判記録からも、池田大作氏が自身の著作とするものが実は代筆され、第三者によって書かれていた事実は動かないと思います。