いつもみなさん、ありがとうございます。
さて創価学会という組織は、外郭企業の複合体という側面を持っていまして、例えば以前のブログでは、大蔵商事、東洋物産等のことを書きました。
「大蔵商事のこと」
「大蔵商事と松島勇氏のこと」
「東洋精光のこと」
ところが、創価学会の持っている外郭団体・企業はこれに留まらず、今や多種多様なものがあります。
ブログ記事「大蔵商事と松島勇氏のこと」でも書いたように、創価学会の幹部として活躍をしたり、また教団に対して金銭的に多大な貢献をすると、その人は本部職員として引き上げられたり、外郭企業の団体職員になったりする事例が昔から見られました。今でも地域の青年部幹部として活躍した家庭が聖教新聞の販売店になったり、公明党の地方議員候補になったりすることが多くあります。私が昔、活動家時代によく知っていた方面幹部で、学校の教員だったのですが、取り立てられて本部職員になった人がいました。
これらの外郭団体、外郭企業は、すでに社員たちの生活に深く関わってしまい、これらそのものの存在を否定することが今や困難な状況にあります。例えば八矢英世氏が社長を務めていた設計会社の「創造社」は、清水建設他、様々な建設会社に会館や寺院建設で発注することも多く、切り離せない関係にあります。事実、私の創価大学時代の知り合いの先輩の就職先が「清水建設」でした。
ここで指摘しておきたいのは、創価学会が戸田会長の頃から、そのような企業複合体、コンツェルンのような様相を呈しており、創価学会の関連で収益をあげるような企業が少なからず存在した、そして現在も存在しているという事実の方です。
例えば株式会社「日本図書輸送」は、元々は聖教新聞の輸送会社として、誕生しました。
田中正一氏は米屋を営んでいまして、それなりの資産を持っていました。その後、聖教新聞の輸送会社として「日本図書輸送」の社長になります。
妻の田中ツギは、旧姓を「上原」と言いまして、ツギの妹が上原京子という人物です。
現在、日本図書輸送は「ニット引越便」や美術品運送などの仕事も拡充していますが、ホームページで事業内容を調べると、今もきちんと「産業廃棄物収集運搬業」が出てきます。
(余談ですが、私は創価大学に進学する時に日本図書輸送のニット引越便にお世話になりました。)
次に紹介するのは設計会社の「創造社」です。この社長は八矢英世氏(創価学会副会長)ですが、昔からの会員の方には八矢英世よりも夫人の八矢弓子さんの方が有名かも知れませんね。
当時から多田時子さんに次ぐ全国副総合婦人部長で、会員からの人気も高かった方です。
弓子さんの主人である八矢英世さんは戦後の設計会社「創造社」の社長として、大きな発展を遂げていきます。日蓮正宗の寺院の設計を手がけ、また正本堂建立以降はジョイントベンチャー方式で建設に関わった、各建設会社とも良好な関係を築いていきます。例えば以下のHPを見ると、設計者が八矢英世で、施工者が清水建設に委託されているのがわかるかと思います。
紙面が長くなってしまうので、ここからは若干駆け足になりますが、他にも多くの企業が存在していましたし、今もなお多数存在しています。このことは多くの創価学会員なら広くご存知のことかと思います。
例えば大蔵商事が名を変えた、株式会社「日章」にも関わった中西治雄氏は、「千居株式会社」及び「八葉株式会社」の経営にも深く関わっていました。
「八葉株式会社」は、かつて『週刊言論』を発行していた「総合ジャーナル」社の後身にあたります。
私は活動家時代、引越では「日本図書輸送」にお世話になりましたし、信濃町の「博文栄光堂」でよくお数珠も買いました。大石寺に登山する時は「大富士開発」のバスにも、「千居」の売店さんにもお世話になりました。
座談会では「シナノ企画」のビデオを見るのはお決まりのパターンでした。
今は亡き父も、学会関連の墓園で静かに眠っています。