気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『価値創造』で紹介されたヒトラー。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、最近、高橋篤史の『創価学会秘史』(講談社、2018年)を読んでいて、「本当によく調べ上げたなぁ」と感心してしまいます。



というのも、この本のプロローグで述べられているように、創価学会は過去の『聖教新聞』や『大白蓮華』など、ほとんど公開していないのです。
八王子にある創価大学創価女子短期大学の中央図書館が所蔵・公開しているのは、1980年1月以降のものだけです。
聖教新聞の創刊は1951年4月です。つまりまるまる30年分が所蔵さえされていないことになります。
大白蓮華も1949年7月創刊なのに、公開しているのは1971年1月以降のみ。つまりまるまる20年分が原則、見ることができないということです。



さてそんな状況下で、ジャーナリストとして筆者は、1000ページに及ぶ戦前の『価値創造』及び『新教』のコピーを入手。史料をもとに描き出される戦前から戦時中の創価学会の歴史は、信徒の会員こそまさに知るべきものだと思います。



さて、私は以前、『小国民日本』や過去の「通牒」等の史料から、戸田城聖氏及び当時の創価教育学会が戦争になんら反対を表明していないどころか、戦争を積極的に支持している史実を書いたことがあります。




戸田城聖氏の帝国海軍への賛辞。」

「興亜聖業とは。」

「通牒のこと」




加えて、高橋篤史氏の著作で興味深かったのが、『価値創造』に掲載されたというヒトラーの記事のことです。



当時、『価値創造』は創価教育学会員に無償で配られていた機関誌でした。
この『価値創造』第3号(1941年10月20日発行)では、「ヒットラー総統の『我が闘争』の真髄」と題して、ヒトラーの著作である『我が闘争』の紹介がされています。



この記事を書いたのは松島烈雄という人物でして、高橋篤史氏の著作によれば、イェーリングの『権利のための闘争』の翻訳者で、出版関係者と見られています。
彼は創価教育学会では中野支部に所属し、『価値創造』の前号の記事によれば、1941年8月に大石寺に初登山を行った25人の中に名前があることから、入信間もない時期と考えられています。




日本はこの頃、日独伊三国同盟を結んでおり、軍事的関係を緊密なものとしていましたので、このようにヒトラーを肯定的に評価するのは当時の時代背景として自然なことであったのでしょうが、最大の問題は、これが創価教育学会の機関誌に掲載され、創価教育学会によって肯定的にヒトラーが評価されていたという事実の方です。



『価値創造』第3号に載った記事は、ヒトラー我が闘争』の一部を抄録し、その日本語訳とともにドイツ語原文を紹介するというものでした。原文で言うと330語程度のものです。
日本語訳とともに松島烈雄氏は、読者への便宜として小見出しを付していました。



「自然の『克服』といふ言葉に就いて」
「凡べての偉大なる革新に就いて」
「大衆の心を捉へるに就いて」
ユダヤ系新聞の中傷誹謗に就いて」



高橋篤史氏の著作での要約によれば、

1、自然を支配しているわけではなく人間はわずかな自然法則や秘密を知っているに過ぎないこと。

2、偉大な革新を主張する人間は最初一人しかいないが支持者は無数に存在し、選挙時の棄権者や狂信的な極左思想を持つ人々がそれにあたること。

3、大衆の心を捉えるのは意思の力によること。

4、不倶戴天の敵から誹謗中傷されることこそが運動をより強固なものにすること。


となります。



ここではヒトラーの著作を紹介するだけで、特に論評をされてはいないようです。しかしながら松島烈雄氏はヒトラーを「現代の転輪聖王」と好意的に評価しており、ここで当時の創価教育学会自体がヒトラーを肯定的に評価していたのがわかります。
上記の高橋氏の要約を読む限り、日蓮正宗の信仰に共通する部分があったからこそ、このヒトラーの文章を紹介したと考えられます。
それにしても不可解なことは、なぜ創価教育学会がわざわざヒトラーの著作の翻訳を機関誌で紹介しなければならないのかということです。
当時の創価教育学会が戦争になんら反対の意志を示してなどいなかったことは、このことからも明瞭にわかる気がします。
この『価値創造』第3号が発刊された1941年10月20日というのは、日中戦争の真っ只中であり、真珠湾攻撃の2か月前という時期にあたります。





参考文献
高橋篤史『創価学会秘史』講談社、2018年