気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

社長会のこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。



昭和35年(1960年)5月3日、池田大作氏が32歳の若さで創価学会会長に就任すると、創価学会は次々と外郭企業を設立するようになります。その中で、昭和42年(1967年)6月に各社の社長を集めて方針を話し合う「社長会」(金剛会とも言いました)が始まります。これは各社の持ち回りで、毎月開催だったようです。


この社長会の記録係を務めたのが、東洋物産(旧東洋精光)の4代目社長である木村靖氏で、事実、社長会の議事録は東洋物産の社用箋に書かれています。

f:id:watabeshinjun:20211008161324j:plain




東洋物産については、以下の記事を読まれると良いでしょう。大蔵商事に引き続いて設立され、会員の顧客の担保流れ品を販売していた会社です。



「東洋精光について」



議事録によりますと、築地の料亭で開かれた第1回で、池田氏は次のように発言したそうです。


「広布の闘いで、政党、学校、文化、民音等も出来た。最後に残ったのは経済だ。これからこの社長会を中心に経済革命をする」




このように池田氏社長会を中心に創価学会以外にも資金獲得を求めて財閥のような外郭企業連合体の構想を持っていました。そしてその構想はすでに実現されています。
当時の社長会では、石油、石炭、保険、モノレール、ラーメン店に至るまで多種多様な事業アイデアが出ました。
昭和45年(1970年)11月、第41回社長会では、富士白蓮社(葬儀会社)社長からウランの報告が上がります。
報告によるなら10年前に株を売って得た資金で岐阜県の山奥に3万坪の土地を買ったのですが、そこでウランが出たとのことでした。これは後に旧動力炉・核燃料開発事業団が埋蔵量を調査した東濃鉱山周辺を指すと考えられています。
池田氏はこれに対し、「それはすごい……億万長者だな、ウランは時代の先端を行くものだ……30億くらいにはなるよ……会館を作れ、ウラン会館だな」と発言しています。



社長会は昭和47年(1972年)6月の第61回まで続くことになります。しかしジャーナリストの高橋篤史氏によれば、社長会を中心とする外郭企業群は一般会員信徒から効率よくお金を吸い上げ、その外部流出を極力少なくする内向きな性格にとどまっていったようです。




参考文献
高橋篤史「創価マネーの巨大経済圏」、週刊『東洋経済』2018年9月号所収。