気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

貞永昌靖とジョセフ・アソマニ。

 
 
 
あけましておめでとうございます。
いつもみなさん、ありがとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。
 
 
 
 
さて、アメリ創価学会元理事長である貞永昌靖氏(ジョージ・M・ウィリアムズ)氏の名前が、小説『人間革命』第11巻からは削除されたことを以前取り上げました。
 
 
「『人間革命』第11巻の改竄」
 
 
Twitterでも大いに話題になったところですが、この貞永昌靖氏はどんな功績を残した方なのでしょう。少しだけ紹介してみましょう。
以下の画像は全て、央忠邦『池田大作の軌跡2』(徳間書店1984年)からの引用です。

 
ジョージ・M・ウィリアムズこと貞永昌靖氏は単身でアメリカに渡り、池田大作氏の指導を仰ぎながらもほぼ独力でアメリ創価学会の組織を構築した人物です。日本での父の葬儀に参列できず、それに代わって池田大作氏が参列し、激励の手紙を書いたことがかつての『人間革命』第11巻に記録されていました。現在は削除されています。
 
 
彼は初代ハワイ支部支部長に池田大作氏から任命され、その後、アメリカの総支部長になります。
彼はそれまで日本語で行われていた御書講義や座談会を全て英語に切り替えて、アメリカ市民の信仰として、またアメリカ社会に貢献してゆく団体として組織を変革していきます。

 
また彼は全米の大学等で仏教セミナーを開催します。それまで禅等の思想がオリエンタルな思想だと考えられていた社会に日蓮思想を積極的に敷衍し、ハーバードやプリンストンなど多くの大学で講演を開くようになるのです。

 
また彼はアメリカの初期の名誉市民称号を池田大作氏にもたらした最初の人物であり、彼がいなければ多くの池田氏への名誉市民称号はあり得ませんでした。
アメリカで彼は音楽隊の創設にも向き合い、自身もテナーサックスを購入して練習に参加し、活動を大きなものにしていくのです。
しかしながらそんな功績のあった貞永昌靖氏も創価学会を退会したため、創価学会の正史から消されることになります。
 
 
 
もう一人、ガーナ創価学会の初代理事長であるジョセフ・アソマニ氏も大変な功労者の一人です。

 

彼は1968年8月21日に大石寺で行われた、夏季講習会にアフリカのガーナからたった一人で参加しました。池田大作氏は「遠いアフリカからよく来ましたね」と彼の手を握り励ますと、「私はあなたのことをよく覚えておきます。アフリカ大陸からやってきたのは、あなたが初めてです。十年、二十年後をめざして成長していってください。あなたとガーナのメンバーの幸福のために、題目を送り続けます」と彼を励ましたと言われます。
 
ジョセフ・アソマニは1942年にガーナの小さな村で生まれました。彼は職業教育訓練校を卒業後、プラスチック工場へ就職。その後、紡績技術を学ぶため、1964年に日本へ派遣されます。
アソマニは兵庫県出身の藤本英という創価学会信徒と知り合います。
同年の10月にアソマニはガーナに帰国しますが、彼は再び藤本氏と再会。仏壇を作るのを注文され、仕上げるうちに信仰に興味を抱いた彼は題目を唱えるようになります。アソマニはこうして1965年にアフリカで初めて日蓮正宗創価学会の信者になるのです。
アソマニ氏は藤本の帰国後も信仰を絶やしませんでした。彼は日本に行く旅費を貯めて、1968年、大石寺池田大作氏と会うことになります。
 
アソマニ氏は帰国すると、200人いたメンバーが、一人残らず信仰を捨ててしまったことを知ります。「頼れるのは自分一人だ」と題目を唱え、彼はゼロからガーナ創価学会を構築していくのです。
彼は去ったメンバーを一人一人家庭訪問し、少人数の座談会を開くようになります。それは日曜の午前中、戸外の涼しい木陰で語り合ったことから「アブレクマ・ミーティング」(木陰座談会)と呼ばれました。
楽しそうな語らいをするうちに人が増え、次第に国立大学の講師や政府の役人、また部族長の有力者もメンバーに加わるようになりました。そうするうちに運動は首都アクラだけでなく第二の都市クマシでも広がっていくことになります。1974年に250人程度だったメンバーは、1980年代には2,600人〜2,800人程度にまで増えていました。

 
アソマニ氏は宗創紛争の後、創価学会ではなく日蓮正宗に帰依します。ガーナの日蓮正宗信徒の人数が多いのは彼のためです。このため、アソマニの活躍は創価学会の正史からは削除されることになります。今やアソマニ氏の功績を語る創価学会信徒はいません。もはやタブーになりました。
 
 
 
私は事実として素晴らしい信徒だったのであれば、事実として残して良いと考えています。
実際、創価学会大石寺も、日蓮の遺文から富木常忍四条金吾は信徒として学ばれることが多いのではないでしょうか。しかし二人とも日興とは袂を分かった者たちです。
自分たちの門流から遠ざかったものを全て間違いとするなら、富木常忍四条金吾を読むべきではないでしょう。彼ら宛の書状は全て抹殺しては如何でしょうか。
 
 
しかしながら、これだけ功績の大きい貞永昌靖氏、またジョセフ・アソマニ氏を創価学会の正史から抹殺し、タブーにするなら、創価学会というところは歴史を大切にしない教団と言われても仕方がないことになります。