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さて、創価学会やら日蓮正宗やら正信会やら顕正会やら、数々の大石寺系教団は互いに口汚く罵り合いながら、醜い正統派争いを繰り広げているところなのですが、その対立を象徴するような場所の一つとして、今回は東京八王子市にある「高尾墓園」を取り上げてみたいと思います。
私の父の年代の人たちがそうですが、当時は池田大作氏をはじめ、創価学会幹部や一般会員がこぞって墓を買い求めました。これが創価学会の墓地ビジネスの原型となったと言ってよいでしょう。私の両親の墓も父が若い頃に買ったもので、創価学会系墓園にあります。
この際に墓園を管理する常修寺の住職は、正信会に移ります。これに対し、日蓮正宗側は離脱僧侶に対して寺院の明け渡しを求めて全国各地で提訴をします。常修寺でも寺と墓園の帰属を巡り、睨み合いの状態になります。
その後、平成に入り、今度は創価学会と日蓮正宗の間で宗創紛争が勃発し、対立が激化する事態となってしまい、平成3年(1991年)に創価学会は破門されます。これ以降、創価学会と日蓮正宗は互いに互いを罵り合う全面戦争の様相を呈していきます。
この間、平成11年(1999年)、日蓮正宗は常修寺代表役員の座を奪い返したのですが、正信会住職は墓園内での建物で生活を続行する二重支配の構造になります。
このため、日蓮正宗側は門前に事務所を別に設けて参拝者の対応を行うという奇妙な状態になります。日蓮正宗側の住職(現在は宮下雄鎮氏)が「墓園内の管理、清掃はこちらで行っている」としています。裁判の判例によるなら現在の正信会住職である西本暁道氏が天寿を全うするまでは、日蓮正宗側は高尾墓園を完全に取り戻すことができないことになっています。
そんな不毛な宗派対立の果てに、創価学会員の墓地所有者の足が高尾墓園から遠のくのは当然のことです。園内で手入れが行き届いた墓は全体の2割程度で、花が供えられ、卒塔婆が立つ墓はどれも創価学会を退会した人たちばかりだということです。
墓園中央には池田氏ら幹部による墓が序列順に並ぶ一角があり、その数は約120基。ただ墓石は既に風化し、香炉は崩れ落ち、基礎ごと撤去されたものさえあると言います。
その中で卒塔婆の立つ墓が2つだけ。
一つはかつて捨て金庫の騒動で持ち主として名乗り出て責任を取った中西治雄氏のもの。
参考文献