気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日興の筆跡。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて大石寺では弘安2年造立説の戒壇本尊が、後世の偽造であることは度々このブログで指摘しています。また種々ネットで検索して頂ければ、如何に戒壇本尊の信憑性がないかわかります。そもそも戒壇本尊に言及した文献は日蓮にも日興にも日目にも見出せず、さらに後世の大石寺日道にさえ見出すことができません。


そんな欺瞞教義を真実であるかのように吹聴している大石寺なのですが、それを証明する根拠として度々彼らは日興の著作として『日興跡条条事』(『日興跡條條事』)を出してきます。
正直『日興跡条条事』は、日興の本来の筆跡と異なることに加えて、真蹟とされる紙に改竄・削除された空白部分の形跡が見出されるなど、信用性に多く疑義が呈されています。
以下に大石寺が真蹟とする、『日興跡条条事』の画像を載せてみます。

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ここで私が注目したのは、冒頭「本門寺」の「本」という字の書き方です。
興風談所発行の『日興上人全集』から、日興真蹟画像を見てみたのですが、この「本」という字の書き方、素人の私の目から見ても常の日興の書法とは明らかに異なります。
どういうことか、日興真蹟の残る他の文献から見て比較してみましょう。
まずは日興『本門弘通事』です。この真蹟正本は大石寺に現存します。また真蹟末尾には大石寺20世日典が日興真蹟である旨の加筆をしています。

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『本門弘通事』の冒頭と後半部分の「本」という文字の書き方に注目したいのですが、ここで日興の書法は「本」という字を書くのに「大」という字を書いてから「十」という字を下に加えるように書いていると考えられます。よく見ると「本」という文字の縦棒は完全に貫通しておらず、字の下半分の部分にしか書かれていないのです。下に『本門弘通事』の拡大画像を載せてみます。

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では他の真蹟ではどうか。例えば『宗祖御遷化記録』(西山本門寺蔵)でも「本」の字を「大」と「十」に分けて書く独自の書き方が確認できます。拡大した画像を載せますので、読者の目で確認ください。マークした部分は「右六人者本弟子也」の「本」の文字の部分です。

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日興の「本」の字の書き方は明確に「大」と「十」とを分けて書くような特殊な書法が用いられていることがわかるかと思います。
さて、それではもう一度大石寺が真蹟と主張する『日興跡条条事』の冒頭「本」の字を見てみましょう。


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どうでしょうか。明らかにこれは日興の字体とは異なります。この字は、上述の「大」と「十」を分けるような日興独特の書き方と明らかに違うことがわかる筈です。つまりこの『日興跡条条事』を書いたのは、日興とは別人物の可能性が高い、すなわち後世の偽作の可能性が高いということになります。