気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

桐村泰次氏のこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。



他教団なら「教学部」というポストは最重要の筈であり、教団の柱とも言うべき存在ですが……創価学会だけはなぜかそうなりません。
創価学会の歴史の中で、教学部長が最も会長に近かった時代は、原島嵩氏の頃ですが、原島嵩氏が池田大作氏の大石寺教義からの逸脱を批判して離反して以降、教学部の相対的価値は下がる一方であり、今や教学部は信濃町執行部の御意見番にさえなりません。



さて、原島嵩教学部長が、池田大作氏への批判を理由に組織から追放され、その結果、副教学部長から教学部長に昇格したのは桐村泰次氏でした。



池田大作氏の著作の代筆グループとして知られる「特別書籍部」は当時、原島嵩、桐村泰次、上田雅一らによって運営されていました。
その中で教学的に重要な講義類は主として原島嵩氏によって書かれています。『御義口伝講義』等、序文で原島嵩氏への感謝の言葉が池田氏から記されているのはそういう事情によるものです。


桐村泰次氏は特別書籍部の中でも、トインビー対談や海外の要人との池田氏の対談の作成に尽力された方です。
桐村泰次氏は東京大学文学部社会学科出身で、語学に堪能で優秀な人物でした。
トインビー対談等の当時の対談集は、はぼ桐村泰次氏によって書かれたものと言って良いでしょう。



原島嵩氏の離反後、桐村泰次氏は後任の教学部長に就任します。
ところが、桐村泰次氏は教学指導に際しても、池田大作の指導に触れるのを慎重に避けていました。多くの学会幹部が御書講義をすると、必ず最後は池田大作氏の指導に還元する「慣習」があるのに、桐村氏はそれを積極的にしようとはしなかったと言われます。



桐村氏には「雪山居士」というペンネームがあり、当時の『大白蓮華』でも寄稿していましたが、「自分の意見を押し付けることしか知らぬ指導者は、新しい時代の人でもなければ、真の学会人でもないことを知るべき」「学会の組織を、あたかも自分の権威への踏み台のように考えるものが出てこないとは限らぬ」等、読みようによっては、池田大作批判にもとれる発言を機関誌でしていたのです。


また桐村泰次教学部長による教学指導の会合では、彼が講義をすると池田大作のことが出てこないことで知られていました。私の父も生前言っていましたが、桐村泰次氏は講義をしても池田大作の指導にほとんど触れないため、一部の会員、とりわけ婦人部会員からは評判が悪かったと聞きます。



桐村泰次氏は早々と教学部長の座から下ろされ、「教学研究室長」と言う窓際の役職に追いやられます。創価学会の執行部、あるいは池田大作氏としては、原島嵩氏に続く教学部からの離反を危惧したのかもしれません。
今となっては原島嵩氏の後に教学部長になった「桐村泰次」のことなど、知っている人はほとんどいないでしょう。



桐村泰次氏の名誉のために付け加えるなら、彼は本当に優秀な人物でした。
創価学会ではほとんど名前が出てきませんが、彼は今でも翻訳家として著名で、今もなおピエール・グリマルやジュール・ミシュレ等の歴史学関係の書物を翻訳しています。気になる方は「桐村泰次」で検索されて見るとわかります。



そのように優秀な人物が、創価学会執行部からは窓際に追いやられ、それに対しても沈黙を守りつつ、淡々と優れた邦訳作品を世に送り出している桐村泰次氏を、創価学会は再評価しても良いのではないかと思います。
まあ、創価学会は教学部を軽視して、原島嵩、桐村泰次らを蚊帳の外に追いやった訳ですから、桐村氏も帰っては来ないのかもしれませんね。


追記
今からだいぶ前、2013年頃のことですが、斉藤克司元教学部長が亡くなられました。斉藤氏は大石寺宗門に質問状を送ったことで有名な方です。また彼は池田大作の『法華経智慧』共同の著者・対談者であり、他宗派の研究者からも一定の評価がされていた方だったかと思います。大石寺から離れた後の創価学会内部で教学を構築できる人物といえば斉藤氏くらいしかいなかったのではないかと思っています。