気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

聖教新聞の内容の軽薄さ。




いつもみなさん、ありがとうございます。


さて、最近の聖教新聞を読んでいると、内容の劣化が本当に痛々しくなってきます。
教学的な研鑽はないに等しい。わずか数行の日蓮の遺文を、真偽の検証も何もなくただ載せ、最後の結論は「創価学会とともに」とか「池田名誉会長とともに戦おう」とか「敢闘精神」とか、何の関係もないことと結びつける始末。
以前は大石寺教学を真剣に学んだりしたものですが、今となっては欺瞞だらけの大石寺教学から離れて、創価学会は教学的にさらに何も無くなってしまった感じが強いです。



毎週土曜日には、漫画『はなさん』が連載されているのですが、これもまた酷いもので……かつて創価新報に乗っていた『花の三丁目地区』から更に劣化し、リモートの座談会で北海道10区の留萌市深川市に知り合いがいるかどうか祖母から主人公が突っ込まれるなど、最近はマンガでさえも選挙活動一辺倒な創価学会の姿勢を隠そうとしなくなりました。


かつての聖教新聞には、教学的な記事が載っていたものです。教学試験の範囲には御書全編のみならず、六巻抄や富士宗学要集までが入っていました。それが今の聖教新聞には見る影もないという。



聖教新聞に防災の重要性が書かれていても、それの何が創価学会と関係があるのかさっぱりわからない。そもそも聖教新聞は宗教法人創価学会の機関紙なのではありませんか?
宗教法人の機関紙が防災グッズやハザードマップの重要性を語ることと教義は何の関係があるのでしょう。



かつての教学部長の原島嵩氏が離反し、特別書籍部の桐村泰次氏が後任になってもすぐに「教学室長」という窓際に追いやられてから、創価学会という教団において「教学」は重要視されなくなりました。
そもそも宗教法人において「教学」というのは最重点の部署であり、教団における重要人物が担うべき役割の筈です。
ところが創価学会は教学を重視しません。原島嵩以降、教学部を事実上軽視して窓際に追いやってしまいました。
結果として何も教義を語らない信徒たちばかりの組織になりました。



聖教新聞の最近の内容の無さは、そんな創価学会の内実を見事に表しているとしか思えません。