気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

富士宮市の名誉市民称号の裏側。

 

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さて、創価学会の名誉会長である池田大作氏は、名誉市民称号を海外からいくつも受けておりますが、日本ではたった一つ、静岡県富士宮市の名誉市民です。
池田大作氏が名誉市民であることは、富士宮市の「市政概要」にも掲載されています。
 
 
当該箇所は市政概要の8ページになります。
 

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さて池田大作氏がどのようにして名誉市民称号を受けるに至ったのか、この称号のために富士宮市にかけあった山崎正友氏の発言を、少し長くなりますが著作から引用してみます。
 
 
 
「(前略)このような池田氏の病的な有名病にとり入ったのが、他ならぬジョージ・ウィリアムスアメリ日蓮正宗)[日本名:貞永昌靖]であった。
ウィリアムス氏は、池田氏が来訪するたびに、地元の市長、知事、学者等と会談させ、そのニュースを聖教新聞で写真入りで報道することにより、国際人池田大作の演出に大いに功があった。
池田氏はこの、"国際平和の使徒"の演出の成功に大いに気をよくして、本気で、ノーベル平和賞の獲得の野望をもやし工作にまで乗り出した時期があったのである。
ウィリアムスが、同じく池田氏のきげんとりに使った手段の一つとして、"名誉市民称号"があった。アメリカでは、どこの都市でも、ちょっとした著名人にいともあっさりと名誉市民称号を与える場合が多い。しかし、日本で名誉市民条例を設けている都市は、皆無に近い。アメリカで、"名誉市民"といっても、それほどのことはないが、日本で、"名誉市民"といえば、大変な栄誉である。これに目をつけたウィリアムスは、正本堂落慶式を機に、池田氏のために、いくつかの市の名誉市民称号をプレゼントした。これは、池田氏をいたく喜ばせた。昭和四十七年十月のことである。
おりから、昭和四十五年の言論問題のいたでがいまだいえず、妙信講問題その他四面楚歌の状況の中でかろうじて迎えた正本堂落慶式であっただけに、
『日本で評判ガタ落ちだが、海外では名声いよいよ高い』
と、大いに宣伝し、海外での作られた名声によって、国内の失地回復をはかろうとした。そして、それは成功した。
(中略)
さて、池田氏は、アメリカの名前を聞いたこともないような都市の名誉市民称号を手に入れて大いに喜んだが、その後で、『何とか、日本の名誉市民になれないものか』と考えた。
一年後、総本山大石寺の地元富士宮市池田氏を市民が告訴する事件が起こり、その処理のため、私[山崎正友]が富士宮問題にクビをつっこむ破目になったいきさつは、前に述べたとおりである。
地元の要望にこたえて、創価学会としては、多額の寄付や貸付金等の支出を余儀なくされることが避けられない状況となったとき、池田氏と私は、一計を案じた。
それにもとづいて、私は北条氏[北条浩]らとともに市の有力者達と交渉した。
創価学会大石寺がたくさんの土地を買い占めたことによりいずれも宗教法人の免税措置を適用されるので、市の固定資産税収入が減る一方である。その反面、団体バス等による道路の損傷、上下水道、その他公共負担が増大する一方である。創価学会大石寺は、結局市民の負担によりかかって恩恵をこうむっているのであるから、不公平が生じている。創価学会大石寺の所有している不動産を非公式に洗いなおしてみたところ宗教上の用に供していると思えない部分がたくさんあり、それに課税するとなれば、固定資産税で六億近く、新税予定の土地保有税で四億近くにもなろう』
と吹っかけて来た。
学会側には、農地の大量不正取得等、手のうちを市当局に知られたくない事情があった上に一つの魂胆があったので、次のような主張をした。
『課税対象になる不動産がどこまでかということの判定は、いろいろ議論のあるところであり宗教法人側にもいい分がある。この際、角が立つやりとりをやめて、市の税収が減った分と、過去に学会が約束した事項の双方を考慮して、創価学会が市に対して寄付や貸付をするということで、つまり、積極的な協力というきれいな形をとりたい。地元の方も、無理やり取るとか、ゆさぶりをかけるといった姿勢ではなくして、創価学会に協力し、礼儀をつくすというやり方をとるべきだ』
幾度かの折衝の後に、妥協が成立した。私は池田氏の意を体して、市当局や有力者に、
『寄付等には応じるかわりに、池田氏を名誉市民にしてほしい』と要求した。
さすがに、相当な抵抗があったが、二つの公園の寄付、池田教育基金三億円の寄付、市民会館建設への協力約束、土地開発公社への四億円貸付等々、おびただしい札束攻勢(本来なら税金として取り立てれば良いので、そうすれば、市当局も恩に着せられることはなかったのだが)を背景に、有力市会議員らがあっせんに動き、およそ一年半がかりで昭和五十年には、やっと名誉市民条例の制定にこぎつけ、池田氏がめでたく名誉市民第一号になったのだった。日本では、おそらくはじめてに近いことで、富士宮市としては、金を出してもらいたいばかりに大変なお世辞を使ったものだし、有力者達は、学会から甘い汁を吸おうと、そのあっせんに走ったのだった。
(中略)池田氏を名誉市民にするための条例が、市議会で満場一致で可決された際どういうわけだか、公明党の市会議員だけが欠席した。会議をボイコットしたのである。反池田的な傾向の強い公明党市会議員のささやかな反抗は、当分の間市民の話題となった。
それでも、池田氏は、大々満足だった。
『よくやった』
私はほめられた。
『次は八王子でできないか。あちらに、学会の本山をつくって、将来、創価市としたい。今、唐沢(創価大学理事長)や八尋にやらせているが、君も手があいたら向うに入って手伝ってくれ』
幸か不幸か、私は八王子市にまで手をのばすゆとりがなかった。そして、八王子市の創価王国構想は、昭和五十三年初めに挫折し、従って、八王子市名誉市民も、創価市への改名もお流れになった。
富士宮市における池田名誉市民は、事件処理の弱味をかかえて、市への協力を余儀なくされたという背景があったとはいえ創価学会員の浄財によって買われたものであり、十数億もの会員の金で、池田氏の個人的名誉心が満足させられたことに変りない。」
山崎正友『闇の帝王、池田大作をあばく』126〜132ページ、三一書房、1981年)
※[ ]内の実名の補筆はブログ管理人によるもの。
 
 
 
長い引用になりましたが、上記の引用からわかるように創価学会側から富士宮市への多額の寄付等により、池田大作氏への名誉市民が決定したことは疑い得ないと思います。
 
 
 
追記:1
世界各国からの池田大作氏への名誉市民や名誉学術称号に関しては、以下のブログで非常に詳しく語られています。一読をお勧めします。インド創価池田女子大学の件や、池田香峯子氏への名誉市民称号に関しては必読です。
 
「実事求是」
 
 
追記:2
静岡県富士宮市は、富士山の恩恵を受けた観光都市であり、観光収入が市の財政や経済を支えているといっても過言ではないでしょう。
だからこそ、市内の宗教法人とも共存する必要があったのでしょうし、何より創価学会から総本山大石寺に参詣する登山客は、当時莫大な収益を富士宮市にもたらしたものと考えられます。
富士宮焼きそば」を町おこしとして売り出したのが1999年(平成11年)以降のこと、つまり宗創紛争の決裂が決定的になった頃と考えると、非常に得心がいく気がしてきます。創価学会員の大掛かりな登山が今後見込めないことから、富士宮市は新たな観光振興策を打つ必要性を感じていたことが推察できます。
私も「白糸の滝」に行った際に「富士宮焼きそば」を食べましたが、やはり美味しかったですね。ぜひ創価学会員の皆さんも富士宮焼きそばを食べに富士宮市に行かれても良いのではないでしょうか。きっと富士宮市の方々も喜ばれることでしょう。