気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

批判の自由。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて創価学会日蓮正宗大石寺は、自分たちの教団を「批判する」ものを決して許さない、決して正当に評価しないところがあります。
自分たちの教団こそ「仏意仏勅の団体」「日蓮の正統」なのであって、それを否定・批判する人たちやその論陣を決して認めない、そういうところが創価学会等の大石寺系教団にはあります。



ところで、学問というものは、常に新しい学説と、それに対する批判によって発展してきたものです。
学者が新しい学説を発表したら、必ずそれは批判に晒されます。批判されない見解などというものはあり得ないことです。批判の中で、批判に耐え得たものが新たな定説として確立されていく、つまり学問の発展というものは、批判されることを回避し得ないのです。



創価学会は仮にも「学会」と銘打っていますし、そもそも初代会長・牧口常三郎氏は田辺寿利氏や柳田國男氏らと親しかった地理学者でもありました。また牧口氏は『創価教育学体系』を繙けばわかるように、その思想形成にE・デュルケームの影響が大きく、社会学者と言ってもよい側面も持ち合わせていました。田辺寿利氏と牧口氏との交流はその点からも類推できるでしょう。
だからこそ、創価大学には代々、デュルケーム研究の泰斗と言うべき人物がいた筈です。具体的に言えば新明正道氏や、佐々木交賢氏等です。両氏ともに大変に高名な社会学者です。



話が横道に逸れましたが、単なる悪口に属さない、生産的な「批判」は、学問の深化・発展に欠くべからざるものなのであり、「批判」を封じようとするものは、学問や文化の発展そのものを否定する行為であり、ややもすれば言論の自由の否定に繋がりかねない行為です。
だからこそ創価学会大石寺系教団は、自教団を批判する言論について、頭ごなしに否定してはならない筈です。



日本国憲法第21条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」ときちんと書いてあります。