いつもみなさん、ありがとうございます。
このことは以前ブログでも書きました。
「本尊の奉安様式」
このブログ中で書いたことですが、主に三つの奉安様式が日蓮正宗には存在します。
ところが、創価学会牧口記念会館内の「牧口顕彰室」にある、牧口常三郎の本尊は、上記②の形式で奉安されています。つまり曼荼羅本尊の前に小さな日蓮の御影像が置かれているのです。牧口顕彰室に入ったことがある人は記憶があるでしょう。
実際にはどのように安置されるのか。以下の画像は現在の新客殿になる前の旧・大客殿内部の画像です。確かに御座替本尊の左右に日蓮・日興の御影が並んでいるのがわかります。
つまり現在の大石寺の教義では教主釈尊を「脱益の仏」として三宝から除外してしまうんですね。これに関して山川智應は「法本尊・仏本尊に対して僧本尊を主張しているものは、聖祖門下にただ日蓮正宗あるのみで、他宗ではいはぬところである」としています(『聖祖門下各教団合同の根本的可能性を論ず』38ページ)。
ところで、それならですよ。
実はその疑問はもっともなことで、日蓮本宗の柳澤宏道氏は以下のように著書で述べています。
「奉安様式より見ると石山には日蓮本仏論形式と、そうでない形式が雑居しており、教義と形式の統一性に欠けている。
(柳澤宏道『石山本尊の研究』15ページ)
そのような雑乱勧請、複数の奉安様式が日蓮正宗には混在していました。事実、八王子の牧口記念会館に存在する牧口常三郎氏の本尊は②の「一幅一体」式で奉安されています。またこの形式で本尊を安置している旧大石寺信徒(伝統講)の方もかつては多く存在していました。
日蓮正宗は、宗創紛争以降もそのような奉安様式の雑乱を無理に統一しようとせず、教義と形式の不統一を放任してきた結果が、現在の状態なのです。
大石寺宗門は、まず「一幅式」「一幅一体式」「一幅二体式」をきちんと教義的に統一し、かつて信徒にはなぜ「一幅一体式」で本尊を安置させていたのか、教義上の説明をする必要があるでしょう。
また創価学会は、かつて牧口常三郎氏が本尊を「一幅一体式」の日蓮正宗の形式で安置していたことについて、なぜそれが信徒の本尊では「一幅式」に統一されたのか、また牧口記念会館の牧口本尊はなぜ「一幅式」に統一されずに「一幅一体式」のまま牧口顕彰室に放置されているのか、教義的な説明をする必要があるように思います。
参考文献
柳澤宏道『石山本尊の研究』(増補版)はちす文庫、平成25年。