気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

客殿からの遥拝とは。




いつもみなさん、ありがとうございます。


本日は大石寺の客殿についての話です。



大石寺では客殿という建物がありまして、日蓮正宗恒例の「丑寅勤行」をする場所であります。
参拝者は正面の御座替本尊に面し、丑寅勤行に参加します。その後、正面左側の「遥拝所」で勤行を行います。そこには本尊は安置されていません。


この教義的な理由は何か。
実は客殿の「遥拝所」での勤行は、奉安堂に蔵されている「本門戒壇の本尊」に対してのものなのです。



大石寺の教義によりますと、戒壇本尊は本来「広宣流布の暁」に「本門戒壇」に安置されるべき本尊なのでして、国中に大石寺信仰が広まった時に公開されるべきもので、それまでは本尊への不敬を避けるため、公開せずに蔵の中に秘蔵して厳護してきたのだそうです。
なので、奉安堂のデザインは「蔵」をイメージした建築になっています。そして奉安堂では毎日の水や香華の給仕は控えられ、シキミも供えられていません。ですから篤信の参拝者のみに「御開扉」として特別に内拝が許されるということなのです。



つまり大石寺教義によるなら、客殿の「遥拝所」での勤行とは、通例として戒壇本尊を心中に浮かべて遥拝する勤行なのです。何せ広宣流布の時までは秘蔵すべき本尊だというわけですから。このことは大石寺の基本の教義であり、細井日達等、多くの管長も説法で指摘しているところです。


ところで「客殿の遥拝所から内拝するのが戒壇本尊への正しい勤行」だとするなら、一つの矛盾が出てきます。
それは客殿の創建の年です。
日蓮正宗の公式ホームページを見ると、客殿の創建は寛正6年(1465年)とされています。




寛正6年に客殿が創建された時の大石寺の管長は誰でしょう?
それは大石寺9世の日有です。
つまり日有以前に客殿は存在していないのです。
それなら日有以前は戒壇本尊の遥拝はどうしていたのか?という話になります。
つまり大石寺客殿からの戒壇本尊遥拝という教義も歴史を辿れば大石寺9世の日有以前には遡れません。つまり日有以前には戒壇本尊そのものも、また本尊への客殿からの遥拝説も、存在しなかった可能性が高いということになります。