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「正本堂の意義づけ」
その後、昭和40年(1965年)2月16日、大石寺大講堂での第1回正本堂建設委員会の席上、大石寺66世の細井日達が正本堂が広宣流布の時にそのまま戒壇になる旨の説法をしたことにより、その教義が変わったことになります。
「此一大秘法の御本尊則大曼荼羅を、宗祖は弘安二年十月十二日に、末法万年の為にとて、樟木板に顕はし給ひ、日本乃至世界中の順逆二縁の一切衆生に授与し給ひて、出世の御本懐を遂げさせ給うたのである、此大曼荼羅が一天四海広宣流布の時、皇帝陛下の御建立し給う、本門戒壇堂に奉安せられ給ふ、本門戒壇の大御本尊である」
読めば一目瞭然で、法華講総講頭が時の法主日応の裁可の下、本門戒壇堂の教義について述べています。ここでは本門戒壇堂はきちんと「一天四海広宣流布の時」「皇帝陛下[天皇]の御建立し給う」べきと書かれています。
つまりこれが本来の大石寺の教義だった筈です。本来、本門戒壇堂は天皇の発議により建立されるべきものだったのです。それが正本堂建立の過程で細井日達の発言により、戒壇本尊は広宣流布の時も常に本堂に安置されるべきと変更されました。
それなら、もう日蓮正宗は創価学会から離れた訳ですから(また正本堂も既に解体されたことですから)、伝統ある本来の教義に戻して「広宣流布の時、天皇の建立するところの本門戒壇堂に戒壇本尊は将来的に安置されるべき」と教義を元に戻すべきなのではないでしょうか。
まあ66世法主の細井日達から変わってしまったことなので、今さら過去の法主の発言を変えられないのかもしれませんが、節操なく教義を変えてきた歴史を反省して、伝統ある宗派として元に戻すのが筋なのではないかと思ったりします。その時その時で違うことを言うのなら、大石寺の相伝の信用性はますます下がるだけのように思います。