気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

題目板碑について。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は東北地方の富士門流の寺院において、題目板碑が複数存在することについて書いてみます。出典は松岡幹夫『日蓮正宗の神話』(論創社、2006年)であり、この内容の一部を紹介する形になります。
 
 
さて富士門流系の本源寺、妙教寺、上行寺、妙円寺等の周辺には複数の「題目板碑」が現存します。これは塔婆の形状に加工した石に「南無妙法蓮華経」と刻み、経文等を加えたものです。
日蓮宗には曼荼羅本尊の形を石に刻む板碑が存在するようですが、何と日蓮正宗の寺院にも普通に曼荼羅本尊の形を石に刻んで境内や路頭に置いてあるものも存在します。
以下の画像は仙台・仏眼寺28代の寿円院日倚が造立した「題目板碑」です。何と大石寺26世日寛書写本尊を石に模写して刻み、大石寺48世日量の開眼を受けていることが石の左側に刻まれています(松岡幹夫前掲書より、337ページ)。

 
この曼荼羅本尊板碑は、他にも公道の脇等、一般の通行人が自由に見られるところにも置かれています(同338ページ)。

 
日蓮正宗の本尊は、雨ざらしになるような場所に、一般の通行人の目に触れる場所に置いても良いようなものなのでしょうか。少なくとも現今の日蓮正宗は信徒に頒布している曼荼羅本尊に対してそのような態度はとっていないでしょう。その点は大きく矛盾します。
 
つまりかつての大石寺は、日蓮宗に見られるような題目板碑の教義について、法主が許可を出し、開眼までして設置することが普通に行われていたのであり、本尊不敬を許さないとする現代の教義はもっと後世に作られた可能性が高いことになるでしょう。
 
 
 
参考文献
松岡幹夫『日蓮正宗の神話』論創社、2006年